「わらじ40年の歩み」巻頭言
宮内幸男
40周年記念誌「わらじ40年の歩み」(1997年発行)より
私が山登りを覚えたのは高校生のことだから、はるかにむかしのことだ。不思議とあきもせず長続きしている。この会の仲間となってからは、すでに20年が過ぎた。
その頃の自分については、さいわいなことにほとんど記憶がない。何の経験もない、およそ気のきかない19歳の大学生を、飯豊の実川や越後水無川などに、初めからよくも連れていってくれたものだ。あらためて深く感謝したい。それにひきかえ、当時とあいも変わらぬ山域・方法で新味のない活動をつづけるだけの自らを情けなく思う。「継続は力なり」という言葉がある。平凡なことでさえ続けるには大変な努力がいるし、いつか量質転化があるはずだ、という意味かと思うが、不遜を承知でいえば、同時にどこかいいわけの響きが漂う。だが、来し方を振り返るにはまだ早すぎると一応いっておこう。
過日、私は「わらじっ子」なる命名をたまわった。これまで私はわらじ純粋培養だの保守本流だなどと自称してきたのだが、こうやって呼ばれてみると、なるほど小児的な視野の狭さがうまく表現されていて思わず納得してしまう自分がいる。
代表をおおせつかってから7年を経た。いかに名ばかりの、指導的ビジョンに欠ける私であっても、なんらかゆがんだ影響を与えていまいかと恐れる。遡ればこの会の古くからの「体質」もあるであろう。そろそろ刷新すべき時ではある。
さて、この会はこのたび創立40周年を迎えた。全史に通じるのはいまやS御大のみだが、私もまた、いつのまにかそのうちの半分以上を知る身となってしまった。ここにこれを祝し、さらなる継続と発展を祈りたい。
ところで、これは正直にいうのだが、少なくとも私の知る歴史においては、その活動たるものそれは反復ではなかったか、という思いが否めない。
他者にとっての既知といえども、自らの未知である以上、その追求は意義あるものであるか。その時々が楽しければ、それはそれで充分であるか。時には苦行を求めることさえ山登りであるか。そうだともそうではないとも、ではどうするんだとか仕方ないではないかとか、いい歳をしてないものねだりをするのもいい加減にしろとか、実にもう色々な声が聞こえてくる。そしてまた同じ歩みを重ねることになる。
この会の40年間の活動については、仲間たちが苦労してまとめてくれたこの小冊子が、あますところなく全てを語っている。自慢するほどのこともなかろうが、むろん卑下することもない。自分たちの本当の姿を知ることは大切なことだ。そして様々な論評があれば楽しいと思う。私としてはたとえ切れ切れであっても何か一本の流れをここに見出したい欲求があるのだが、よく視えないのが多少なりとも残念ではある。
ともあれ、この記念誌が一人一人の新たな出発点になり、かなうなら大きな流れになることを願う。
とくに記しておきたいことがふたつある。
この会に入って一番に驚いたことは、パーティーリーダー自らが率先して水は汲むは、米は磨ぐはでもっともよく立ち働いていたことだった。今の人達にこの話しをしても「アタリマエデス」と格別の反応も得られない。私たちの世代にとっての驚きが今の世代の常識になっていることは、これは手放しでうれしい。いいたいことがいえ、やりたいことがやれる。連れていくもいかれるもない、力をあわせともに登る。そういう自由かつ対等で、いわば相互の共働の関係を大切にしていきたい。
もうひとつは、この40年の時の流れの中で私たちが喪った5人の仲間たちのことだ。まだみな二十歳代の若者たちだった。私自身は4人の彼らとロープを結び、風雪にさらされ、焚火を囲んだ。彼らと時をともにした人達はもちろん、面識のない人達もまた、彼ら5人の名前を忘れてはならないし、ずっと語り継がねばならないだろう。ここにあらためて彼らを悼み、一歩誤ればいつそこに自らの名が刻まれてもおかしくはないのだ、ということを胆に銘じて、二度と悲劇を繰り返さない誓いを、新たにしたいと思う。
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