はじめに
〜登山の社怪学パート2

若林岩雄

年報9わらじ 巻頭言より

山との接し方も、時代、年代、世代によって大きく異なってくる。
時代とは、その時の社会・経済的状況で、敗戦後動乱期と高度成長期と、現在みたいな「国栄えて山河滅ぶ」あるいは「企業富んで、労働者窮す」的な状況とでは、山に対する考え方も、登り方も随分と違うだろう。
年代は、年齢(肉体的及び精神的)や家族構成のことで、若い時と体のアチコチにガタがきた時や、独り身の自由な時とかみさんや子供に手足をしっかりとおさえつけられている時とでは、同じ様に山へ行くわけにはいかない。稀に、その難しさを克服している人がいるが、相当の努力が必要だ。
世代とは、同年代の一つの塊による共通した社会的性格のことで、要するに「三ツ子の魂、百まで」ということである。僕らの世代は、団塊の世代とか、ニューサーティという呼名の他にも、アリギリス世代(アリ世代とキリギリス世代を結ぶ世代)とか、赤銅鈴之助世代(僕は鉄人28号世代の方がいいと思うが)とかいろいろ呼ばれており、まあ、世代によって登山に対する考え方もかなり違う、といわれればそんな気もしてくる。
実は、昔、といっても昭和55年であるが、月報292号に「登山の社怪学」と称して「登山観と世代」という駄文を書いたことがあって、心ある会員のひんしゅくを買ったことがあるが、その時に、世代の交代による登山観の変化を予想し、そして「巨人の星世代」(昭和31年〜38年生)、「仮面ライダー世代」(昭和38年〜)(注、以上の区分は川上氏による。昭和45年位からはドラエモン世代にでもなろうか)の新人を獲得するための戦略をねったりしたことがあった。
さて今回の目的は、題して「登山の現状に関する統計的研究」である。なぜかといえば、私の綿密かつ的確な新人獲得戦略にもかかわらずその効果は一向に上がらず、某氏から「お前の予想は外れたぜえ−。約束の賭金払いなよ」という催促が矢のように跳びこむに至り、負けてはならじ「新人の減少は登山界全体の傾向であって、私の予想は相対的にみれば外れたとはいえない」と弁明に努めているのであるが、口先だけではなく数字によって証明してやろうと見栄を切ってしまったことに端を発している。

〈登山人口の推移〉
登山人口は何人位だろうか。登山といっても千差万別なので、統計的に捉えるのはなかなか難しい。整備された統計があるかも知れないが、探し回る時間的・精神的余裕がなかったので手近なところをあたってみた。
(財)余暇開発センターの「レジャー白書」をみると、「キャンプ・登山」の参加率は昭和60年で11.4%とあった。参加人口に直してみると、1090万人である。凄いですねぇ。ちなみに「スキー」が11.8%、「釣り」が18.3%である。人数に直してみるとびっくりするが、はぼスキーと同じ参加率であれば、まあ、そんなもんですかねという気がする。では「登山」に限定するとどうだろうか。残念ながら、昭和60年のその数字はない。古い「レジャー白書」をみていくと、昭和52年のものに詳しい数字があった。それによると、「キャンプ」6.3%、「登山(夏)」6.1%、「登山(冬)」1.2%となっている。人数に直すと、「登山(冬)」で101万人となる。かなり多い様な気がするが、面接調査に基づく推計だから一応基礎数字として信じておくことにしよう。要するに、少しでも冬山へ行く様な人は約100万人であるらしい。
次に、経年的変化をみてみよう。これは「キャンプ・登山」のレベルでしか数字がないが、昭和51年で参加率12.6%、55年で14.5%、60年で11.4%である。傾向としては横ばいないしは微減である。

〈性別、年齢別動向〉
しかし、参加率を性別、年齢別にみると特徴が表れてくる。
まず性別の参加率を昭和55年と60年で比較してみると、55年は男18.8%に対し女10.7%と男の方が格段に高いが、60年をみると男12.8%に対し女は10.1%と差が大きく縮まっている。つまり、「キャンプ・登山」に対する参加率の傾向は、女性は横ばいであるのに対し、男性は減少している。いってみれば、「キャンプ・登山」の女性化が進行している、というより、男性離れが進んでいる。
次に年齢別にみてみよう。一例として、昭和55年の男性の参加率を年齢別にみると、10歳代33.9%、20歳代23.2%、30歳代19.7%、40歳代16.4%、50歳代14.1%、60歳以上7.4%と、年齢が高くなるに従って参加率が低下している。年齢と参加率はきれいな逆相関の関係にある。
ところが、昭和60年をみると、10歳代22.0%、20歳代13.0%、30歳代14.9%、40歳代16.0%、50歳代11.6%、60歳以上6.6%となっており、10代、20代の参加率の低下が著しい。その結果、昭和60年は30歳代、40歳代の参加率が10歳代、20歳代よりも高いという結果になっている。昨今の中高年登山ブームは気分だけではなく。実態としてもそうであるらしい。ただ、この数字の限りでは、若年層が少なくなった結果として、相対的に中高年が目立つにすぎない、ともいえそうである。
ついでに、参加回数もみておくと、昭和60年の男で、全体では年間3.9回に対し、10代は2.2回、30代は3.6回、60歳以上は24.6回という様に、若年層が少なく、中高年になるに従って増えていく。

〈登山用品市場〉
余暇市場全体は、ここ数年5%位の成長率で拡大し、昭和60年で50兆円に達している。このうちスポーツ市場のシェアは6.0%で約3兆円である。さらに、スポーツのうちの「山岳、海洋牲スポーツ用品」は約3000億円である。ここ数年の変化をみると、シェアはもちろん絶対額でも減少気味である。
登山用品については、手元に古いデータしかないが、昭和45年で39億円、50年には73億円に達したが、それ以降は横ばいで、56年にようやく84億円、57年は89億円となっている。最近の業界動向は「余暇関連産業に関する調査研究」(61年2月)に詳しくレポートされているが、「登山・キャンピング用品」は売上高が減っているとしたスポーツ用品店の方が、増えたという店よりも多く、また、業界全体としても赤字状態であると報告されている。
どうやら、市場からみても登山は頭打ちのようだ。山道具店を開業しようとしている会員がいたら、注意した方がいい。

〈山岳雑誌〉
どうも暗い話しになってきたが、我々はどうやら、光を求めて右往左往するよりも、時間に目をならしておく方が得策の様だ。
ついでに、山岳雑誌の状況をみておこう。実態を調べようとしても徒労に終わりそうなので、手近な所で「雑誌、新聞総カタログ86年版」から各雑誌の公称出版部数を拾い出してみる。最大が「山と溪谷の23万部、次いで「岳人」の15万部、「岩と雪」の5万部、「クライミングジャーナル」3.5万部、「新ハイキング」3万部、「フォールナンバー」1万部となっており、「山と仲間」は休刊中である。フォールナンバーも1986年4月に終刊となった。
また、「ビーバル」は30万部、「アウトドアー」は13万部、「ウォーク」は12万部である。
つり雑誌は種類も部数も多いが、比較的山岳渓流釣りの記事が多い「つり人」をみると25万部である。
以上から、実売数(某氏によると公称数の1/2〜1/3らしい)及び潜在数をあれこれ推測すると、沢登り人口は大体2万人位かなぁ−。

〈山城別の登山者数〉
私の仮説は、便利な有名山岳には増々人が集まり、不便な篤志家向の山域はより過疎化するということであった。これもデータを集めてみようかと思ったが、さすがにめんどうになったので、谷川岳と飯豊・朝日の状況だけを聞いてみた。
谷川岳の入込客(登山者ではない)数は、群馬県観光課によると昭和50年度の41万人に対し、59年度は52万人ではば10万人増ぇている。60年度、61年度は未集計であるが、関越自動車道の開通によってかなり増えている様だ。但し、増えたのは団体客等であって、例えば一ノ倉の登山者でない事は後述する。これに対し、飯豊・朝日をみると、小国口からの登山者数は、昭和57年で飯豊4万3800人、朝日1万600人、昭和60年は飯豊5万1600人、朝日1万800人(いずれも小国町役場による)で、全体的な推移はほぼ横ばいである。というより、地元の努力にもかかゎらず、飯豊は5万人、朝日は1万人で頭打ちである。他のもっと無名で不便な山域はおして知るべしであろう。

〈山岳会の状況〉
組織的な規制の多い既存山岳会や、伝統的な山岳会は嫌われているらしい。特に、うまく世代交替のできなかった山岳会は問題も多い様だ。
都岳連の加盟団体数をみると、昭和50年が240、55年が260、60年が320と推移しており、加盟団体数は増加している。組織人員数は、とみると残念ながらデータが得られなかった。また主な活動を何においているかもデータがないが、参考として都岳連の身分証明書取得者数をみると、50年の2200人に対し、55年は2212人と僅かに増えているが、60年になると1983人と減少している。山岳保険加入者も減少している様だ。
どうやら、増えている団体はハイキング等を中心とした同好グループ的な会が多い様だ。また、プロガイドや登山教室卒業生によるグループ化という流れも定着しそうだ。

〈危険区域の状況〉
最近の登山者の嗜好を表すデータが何かないかなと思ったが、どうも片手間仕事では難しい。そこで手っとりばやく、群馬県谷川岳遭難防止条例に基づく登山届(危険地区登山者)及び登山計画書(同前のぅちの身分証明書携帯者)による入山者数(一ノ倉沢等)をみると、昭和50年で登山計画書5504人、登山届5513人、合計1万1017人に対し、昭和60年は登山計画書2737人、登山届3744人、合計6481人と激減している(いずれも群馬県観光課による)。はぼ半減であり、特に日山協加盟団体等の登山計画書による入山者の減少幅が著しい。一ノ倉沢等から消えた人達は、城ケ崎や小川山に場所を変えたのか、それとも山を止めたのか、そこら辺は良くわからないが、かつては時間待ちのためビバークさえさせられていた一ノ倉沢に閑古鳥が鳴くことになった事だけは確かなようだ。喜ぶべきが悲しむべきか。

〈総括〉
以上のようにみてくると、山の世界の現実は、(1)登山・キャンプ人口は横ばいである。登山人口は多分減少している。(2)登山は、かつては男の遊びであったが、男性離れが進行し、その結果として女性化しつつある。(3)同様に若者離れも進み、結果として中高年ブームが現象している。(4)登山市場は頭打ち。(5)山岳雑誌も、専門化したとしても維持するには厳しい市場規模である。(6)便利であれば人は行くが、不便な所は空く。(7)グループ化は進んでいるが、同好者による気楽な集まりに限定される。(8)身分証とか山岳保険とか、めんどうな事を担う人間が少なくなる。等々。
どうやら、かつての私の予想はあんまり当たらなかった様だが、某氏にあっさりと賭金を払うこともなさそうだ。よかった、よかった。
そして私の結論は、状況が前記のようなものである以上、我々鉄人28号世代としては、あまりセコセコ悩んだり考えたりせず、自分の山や自分達の山を、明るく楽しくやりましょうということである。お先真っ暗でも、目をならせばいろいろなものが見えてくるものだ。そのうち東風に変わるだろう。

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少しばかり走り回って手に入れた数字は以上のとおりです。図表も載せればより見やすかったかと思いますが、スペースと暇の関係で省略しました。この他にも、例えば経済のソフト化、サービス化に伴う職業構成と、就業形態の変化なんてのを調べれば、そこから休日の質的変化がわかり、従って合宿や土日主体の山行の在り方も今後は変化を強いられるなんて結論が出てくるかも知れません。
また、数字には様々な前提条件があるため注意が必要ですが、同時に立場によって様々な読み方が可能です。その人の価値観、原体験、イデオロギー、登山観、家族構成、経済的状況、休日取得の難易等々によって180度転回した評価ともなります。
ともあれ、こういった数字イコール素材は、山の事や会の事をいろいろ考える場合に、少しは役に立つのではないかと思う次第です。

 

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