黒部別山=異色の地域研究書に思う
関根幸次

年報9わらじ 本文より

黒部別山の地域研究(当会の間ではタプーとされる言葉だが)“黒部の衆”の手により自費出版された。この研究書は大部前から話があったが、なかなか目にすることはなかった。私は、黒部と冠松次郎の関係、それに黒部上ノ廊下の潮行が総ての知識である。本書『黒部別山』を語るだけの適任者ではないように思う。だが、地域研究という地味な登山を続ける姿勢に共鳴する。その成果を世に発表し、貴重な山岳記録を財産として残された意味は大きなものである。
昨年、渡辺斉氏(武蔵之國山岳会)のブータン遠征壮行会二次会席上で、「今年の末までには黒部別山の本を出すぞ。その時は是非出席して下さい。おれ達は本当の山屋しか招待しないんだ」と酒も大分入りメートルも上っていた。目を丸くし、みんなの前でたんかを切っていた。これだけ“黒部の衆”が確信にみちた話しぶりであり、間違いなく上梓されるのを喜んで待つことにした。
黒部別山は、剱や立山、後立山、アルプス銀座のように、同じ山域でも一般的登山者には馴染みもなく、一部の篤志家だけの山であった。谷川岳や穂高周辺の岩壁は登りつくされ、ルートだらけの壁となってしまった。
既存の岩壁からバイオニヤ精神旺盛な彼等を、黒部別山の“とりこ”にしたのである。黒部の衆は同人的グループで、以前に各自所属の山岳会で黒部別山の地域研究をしていたのである。黒部別山及び周辺の山域の壁に青春のエネルギーを費し、登った記録を糧とし、生活をエンジョイしてきた若者たちであった。
しかし、各自が一つの大きな山を研究し、壁なり沢なりを一人で頑張っても、力量・成果は小さいものである。特に、黒部別山のように登攀を対象とする山はなおさらである。冬季登攣のアプローチは、他の山に比較し困難は計り知れないものがある。
本書は、黒部別山にかかわった岳人を集め直登会の大野氏を代表に“黒部の衆”を結成し、岳人誌上に黒部別山の記録を発表、これが母体となったのである。黒部の衆のモットーは“黒部別山の研究”をより完全なものと団結し《意志統一》の編集衆会(集会)を重ね検討された。例えば、一つの原稿でも何人かが目を通し、チェック、一つの尾根をどこまで伸ばして描くかによって、ほんの1ミリメートルか2ミリメートルの長短の合否について口角泡を飛ばし激論し合ったようだ。元来、酒好きなメンバーの集まりなので、一杯飲みだすと柊りを知らない。一つのルンゼの名称の妥当性に就いて一晩中検討し合ったと聞く。
黒部別山をベースに直登会の加藤氏、前記の渡辺氏らの呼びかけで“黒部別山”=黒部の衆の人達が持つカラーを各自発揮し、調査編集した本書の発刊は過去に類を見ないといっても過言ではない。
私は、黒部別山の壁は、手も触れたこともなく、ただ眺めただけである。本書を手にした時、黒部別山の壁に触れたようなピリッとした感激と重圧感が迫ってきた。これから岩壁にルートを求め、取付点に立つ感じぐらい心が踊った。
本書発刊の黒部の衆に見る地域研究のパターンは今後の記録集大成の先取的発想であると思う。今までは、各山岳会、山岳部で一つの山域なりをホームグランドに登山活動を続け成果をあげていた。しかし、近年大学山岳部や一般山岳会の衰退により、青春のエネルギーを山で発散させる若者、冒険心のある若者が少なくなってきた。一般山岳会も同人的なグループとなりつつある。地域研究なる山行も頽廃の一歩を辿り、物見遊山的登山志向型に変化してくるであろう。
本書の発刊は、眠っていた岳界に大きな活力となることを期待する。当会においても地域研究の是否については論議されているが、最低の線で、各自の理解を深め、山を登る。沢を潮るだけに終わらず何か、一つのことを実行(地域研究)し、会の財産として残すべきであろう。飯豊を最後と言わず、次のステップを歩み続け、黒部の衆に負けない、団結と意志の統一を計ろうではないか。会は何を目的に存在するのか一人一人考える時期だと思う。活力のある会を目指したいもので、黒部別山の研究者の出版を他人のことと思わず、当会も飯豊の集大成出版に頑張ろう。

 

閉じる