はじめに
若林岩雄

年報10わらじ 巻頭言より

どのような山岳会にも会員数や活動内容には大きな波がある。当会にも何回かの波があっただろうが、ここ2・3年は、多分、大きな波の下降局面にあった。「多分」というのは、まだ最下点に達していないかもしれないという懸念があるためだが、今年(1987年)は15名もの人が新しく入会してくれ、かつ、集会にも山行にも積極的に参加してくれているから、あるいは新しい波に乗ることができるかもしれない。
ここで、下降局面とか低調期とかという意味は、例えば新入会者が少ないとか、集会への出席率が悪いとか、合宿や訓練山行への参加者が少ないとかというような会レベルの量の問題と、主として「飯豊」という最高の地域研究の場をはずしたことによる目標喪失感、及び地域研究という枠をとりはずしたことによる会の軸の不在感というような、会レベルにおける質の問題としてあった。飯豊が面白かった分だけ、その落差が大きかったとも言える。ただ、あれ以上「飯豊」にこだわり続けたとしたら、状況はより悲惨になったことは想像に難くない。私見にすぎないが、一度は枠を取りはずして硬直化しつつあった体質をもみほぐしてみる必要があったし、従来の枠を超えた位置から会の活動や体制を見直す必要があったであろうと思う。
会活動のこのような「低迷感」に対して、個人レベルではユニークな山行や充実した山行、あるいは新しい領域に踏み込んだ山行が数多くあったと思う。会レベルで低調であったがゆえに、個人レベルでは否応なく思い思いの山行をせざるをえなかった結果ともいえるし、逆に、個人レベルで充実した山行を模索し続けたがゆえに、会レベルの低迷状態をなんとかやり過ごせていたのかもしれない。もちろん、まだ先が見えているわけではない。
当会のキャッチフレーズは「渓谷から頂へ!」である。これは会員募集のために長く使われてきたコピーであるが、私は会の性格を端的に表現した最高のコピーであると思っている。私が山を続ける限り、多分「渓谷から頂へ」にこだわり続けると思う。私はやはり、第一に山へ登りたい、そして、山へ登るとしたら、ヤプ尾根でも岩でも雪稜でも登山道以外ならなんでもいいが、やはり渓谷から登るのが一番面白いという発想をとっている。なんで今のところ登山道以外かというと、登山道は麓とピークの間にあるもろもろの「山」が希薄にならざるをえず、登山を苦行にすり替えてしまう、あるいは登る事自体の面白さが限定されてしまうと思っているからだが、しかし、苦行自体も一つの行き方ではあるし、また、私も人間ができてくれば、あらかじめ設定された「道」を辿ることにも面白さを見出せる幅がでてくるでしょう。
「渓谷から頂へ」という発想には、多分、山を部分として切りとるのではなく、総体として把えたいという発想が込められている。釣師は魚止め滝までが全てであろうし、壁屋も登攀価値がある部分が全てであろう。ゴルジュ突破はゴルジュという部分が全てであり、ハードフリーは既に山からは独立したスポーツ分野(登山というより、体操競技を野外化したスポーツに近い)となっている。これらは、それ自体として面白さを純化していけば良い。ハードフリーはむしろ「登山の一分野」と考えない方が雑音をシャットアウトでき、より発展するのではないかと思える位にまで独自性を確保している。私達はこれらの自立した分野に顔をつっこみながらも、最終的には山を総体として把える姿勢を保持し続けたいと思う。
別な言い方をしてみよう。よく他の山岳会の会員募集に「当会はオールラウンドな山行を実施しています」という表現がある。多分、この場合は、ある人はハイキングを行い、ある人はハードフリー、ある人は冬期登攀等を行っており、会全体としてみれば考えられる山行のメニューが一通り揃っているという意味でオールラウンドであるのだろう。しかし、当会が山を総体として把えるのであれば、会員一人一人が自己完結的にオールラウンドにならざるをえない。会員である限り、好みの違いはあっても、沢登りはいうに及ばず、岩登りも、氷も、山スキーも、ヤプこぎも一通りこなせるようになりたいと思う。そのような山とのつき合い方の総合的な技術の上に立って、山とのつき合いを深めていくことが可能となる。山との接点が広がり、自由度が大きくなり、自立したつき合いが可能となる。
なかなか歯切れがよく威勢のいい話しがでてこなくて申し訳ないが、これは私の性格に起因している。私はネクラ人種に属するから、どちらかというと低迷期にジタバタとする方が得意であって、高揚期にみんなをグイグイと引っぱっていくタイプではない。そういうのは苦手だし、そういう立場を強いられると完全に逃げださざるをえなくなる。だいたい、山でも人がいくところには行きたくないし、沢歩きもブームが去って喜んでいる人間に属している。昔から体育系的大学山岳部や序列的組織は敬遠していたし(ただし、会運営を考えたら、体育系的大学山岳部出身者はもの凄い戦力になる。なぜなら、私が苦手な事を全てやってくれるから)、明るく楽しいフォークダンス的山登りも性格的に苦手である。だから現在の代表にそういう意味での指導力を要求しても無駄であるし、そう思う人は自分が指導力を発揮してもらうしかない。私は自分の道を進もうとする人達と、その道が違うということを認め合った上で、できるだけ同行しようとするだけである。だから私の組織原則は「ギブアンドテイク」であり、「富士山型ではなく八ヶ岳型」であり、「正規軍ではなくゲリラ」であり、「つれられていくよりは簡単でもいいから自分でいけ」であり、「教わったら同じ位自分で考えろ」であり、「自分の対極の存在を認める」等であった。その結果が「わらじの仲間」にとってプラスであったのかマイナスであったのか良くわからないが、多分、一つの情況としては存在し得たと思う。
当会の方向は、再び壁が鮮明になるまで、広域的であり続けるはずである。より拡い山を目指し続ける。そして、その結果として、焦点が再び明確になってくるであろう。地域研究的な求心力が湧いてくるかも知れないし、海外志向的な方向へ行くかも知れない。あるいは、山登りの対象と方法をより拡げる方向へ行くかも知れない、自然保護に傾斜していくかも知れない。単純にいえるのは、低迷期があってこそ始めて高揚期があるのであり、自己とは相反する他が存在するからこそ始めて自己がより豊かになりうるのであり、つまらぬ事の積み重ねと、様々な言葉を浴びせられながらもそれを担った人間がいてくれてこそ始めて今があるのであろう。

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