はじめに
宮内幸男

年報14わらじ 巻頭言より

忘れることのできない90年5月、無秩序な春山合宿のあと、私たちは二人の仲間を失った。誰もが大きな衝撃を受けた。一人ひとりの登山(観)があらためて問い返されることとなった。私たちは来し方を振り返った。深刻な批判、不満、反省があった。他方、ある種の他者性のなかでしか事態を把握できぬ傾向もうかがわれた。私たちは大きな疑念を抱かざるをえなかった。
そもそも、どんな山行を実現したいのか、そのためにどんな会でありたいのか、私たちは、新たな目標と活動方針を模索した。増加する一方の会員数、多様化する志向、ますます顕著になる山行内容・登山観の差異、そんな今こそ、会のあるべき姿を提示し、求心的な山行を実現していく努力が求められているのではないか、そう思われた。
そして私たちはいくつかの課題を提示し、今後の方針としたのであった。
ここではそれについての個人的見解を少し記してみたい。
まず、会の活動の基軸(性格)を明確にしていきたい、と思う。個人の主体性を重視しながらも、やはり目標は明示したい、ということでもある。
イメージだけで具体性に欠けて恐縮だが、当面は、飯豊や越後の渓谷や雪稜を活動の中心的な舞台として、記録の空白性ないし稀少性のある地域の踏査を会として行っていけたらと、と思う。
私たちはかつて地域研究・パイオニアワークという積極的なテーマを掲げていた。いまあらためて古いテーマを持ち出すつもりはない。だが、まだまだ探るべきことは多い。力たらず、心ならずも、割愛・断念した部分がある。当時は知らずいまなら実現できることがある。新しい課題が提出されている。なによりも、その人気のなさ、豪快さ、登攀性が、やはりどこよりも面白いと私には思われてならない。
晩秋だけその姿を顕す未知の核心部がある。手つかず(に近い)のルンゼやスラブがある。技術的な困難性から入谷を控えた谷々がある。いまだトレースされない長大な雪稜が、急峻なリッジがある。知られてはいても仲間の誰も足を踏み入れないルートがある。会としてはともかく個人にとっていつまでも魅力的なルートがある。どっさりとある。
第2は、これは第1の課題と表裏の関係にあるのだが、登山技術の一定水準以上の習得と向上を目指したい、ということである。
私たちは登攀を主体とした集団ではないが、それでもこれは登山者としてごく自然で当たり前な過程としてあるはずである。また先にあげた私たちの対象はそう容易なものではないからである。余裕をもって山を楽しみ無事に帰ってくるには、それなりの実力が求められる。事前の準備や訓練も当然必要とされるであろう。
飯豊や越後の渓谷はどの程度の難しさがあるのか、単純な比較が無意味なのは承知だが、例えば、谷川東面のルンゼ群などよりは間違いなく難しいといっていいだろう。だとすれば、それらを快適に辿れる遡行力(一ノ倉沢や幽ノ沢のルンゼのほとんどは沢登りである)を最低限身につける必要がある、ということになろう。
冬山もまた然りである。いずれも、いわゆる豪雪地帯に位置し厳しく苦しい。ホワイトアウトとラッセルが私たちの対象となるだろう。
冬季は山行参加者の顕著な減少がみられる。残念なことである。苦しく、大変なことを思うと、胃が痛くなることもある。だが、やはり楽しい、という気持ちで臨みたい。たぶん、快適さや爽快さというものは、登山の本質とは相いれないだろうと思う。
現状打破のためには、『沢登り中心』ではなく『冬山中心主義』という会方針でもあげたいくらいだが、無理だろうか。ついでに、滑降主体の、あるいは自己目的化した山スキーなどは冬山ではないという偏見を、ここで表明したい気もするのだが、誰にも相手にされないだろうか。
以上は、すでに慣れ親しんで釆た地域で新しい眼と新しい発想でより斬新で意欲的な山行を実現していってほしい、という私たちの願望である。乱暴を承知でスローガン的に言えば、どうもうまい表現が見当たらないのだが、『沢歩きから沢登りへ』(『沢登りメモ』の前身は『沢歩きテキスト』であった)、そして『(雪)尾根から(雪)稜へ』、ということになるだろうか。
むろん、一定の地域や過去のかかわりに拘束される必要は必ずしもない。対象や方法の拡大・変更も当然あるだろう。あくまでも当面である。もっと面白いところがあれば、むしろ教えてほしいくらいである。今組織の在り方においても、古い一元的ないわば共同体的志向(幻想)にとらわれない自由な地点から、新しい世代が新しい会運営や会務に取り組んでもらえることだろう。私たちはそうやって釆たし、おそらく今後も次の人達がそうやってすすめていくのだろう。そう私たちは確信している。
遭難という辛い体験は私たちを萎縮させようとするが、万全の体制でより積極的で安全な山行を実現でさるように、その体験を転化して、人真似でない内発的で意欲的な山行を行っていってほしい、と思うのだが、さてどうだろうか。

 

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