はじめに
宮内幸男
年報19わらじ 巻頭言より
(1)
もう昨年の冬のことになるが、サブ合宿と銘打って越後金城山で集中登行を行った。詳細は来年の年報を見て欲しいが、登行した尾根には名称はもちろんのこと、名をもつピークも著名なピークもなく、高棚沢右稜と割石沢右稜とか呼んでみたのだったが、そのゴロの良さとは裏腹に何か落ちつかぬものがあった。それは、冬の八海山を登っていた頃、高倉沢右稜とかアラチ沢右稜とか呼びながら、なぜ“尾根”ではなく“稜”なのかな?とずっと気になっていたことだった。
“稜”とは、“短いあるいは急な尾根のこと”とでもなるのだろう。だが、“主稜線”などというと主脈のイメージであるし、“静かでよい雪稜”というのも良くある言い方だが、いずれも別に急な尾根を意味しているわけではないだろう。“頂稜”なんてのも格好は良いが良く分からないところだ。要するに結構無造作に使用されていて、区別などされていないように見える。
先取りして言うと、先の四つの例は、みな右尾根と呼んだ方がよいと思う。以前の足拍子川前手沢右稜、昨冬の檜又谷大滝沢右稜などはそのままでもよいだろうと思う。
(2)
登山者がこれまで区別してきた実例を一瞥してみよう。
例えば鹿島槍。荒沢流域には、荒沢尾根があって南稜・北稜がある。長いのが尾根でより短いのが稜と言うことか。反対側のカクネ里ではちょっと悩まざるをえない。正面尾根・直接尾根ときて、一番長いのが主稜となる。蝶型右稜・左稜と続き、さらにピークリッジ・右リッジとくるともう分からない。
あるいは北岳のバットレス。第一尾根から第五尾根までナンバリングされ、そして中央稼がある。他に比して短いからだろうか。
谷川東面。東尾根、一ノ倉尾根、石楠花尾根に囲まれた流域に、北稜・中央稜・南稜、滝沢右稜・滝沢リッジ(これは愛嬌と言うべきか)、一・二の中間稜・一の沢左稜といたって分かりやすい。隣に移って、幽ノ沢では中尾根、これはイレギュラーなのか“顕著な稜”という位置づけなのだろうか。
爺ヶ岳などは東尾根と冷尾根の中に主稜・北稜などがあって納得しやすいと言うべきか。
どれも同じことらしいのでこの辺でやめる。要するに、一定の範囲(流域)内でその長短によって相対的に区別するのが尾根と稜だと言うことになるようだ。その際、範囲(流域)を画するのが尾根なら分かりやすいといえるだろうか。
ところで、これと異なる稜の用語がある。剱岳なら、源次郎尾根の右稜・左稜。八ツ峰は「主稜」のI稜からIV稜等々というのも結構悩ましい。不帰ではI峰尾根の主稜・支稜など。新しい例では、黒部別山方面の鶏冠尾根とその東北支稜とか中尾根の主稜と支稜とか、越後なら越後沢尾根の右稜・左稜と言う呼ばれ方がある。
これらなどは、急だとか短いという形態上のことではなく同一尾根上でのある分岐点以下での区分であり、稜は尾根のいわば下位概念として用いられている、と言うことになるのだろうか。だとすればより適切な別の言葉があっても良さそうなものだが、まあ仕方がない。
と言うわけで、一応は登山者にとって区別して呼ばれてきた、と言っていいのだろうから、先のように訂正していきたいと言うわけだ。
(3)
さて、これまで私たちは地形図等で見て面白そうだからと適当なヤプ尾根を登ってきた。その際いい加減な名称で呼んできた。ほとんどは記録的価値のない自己満足ルートだからそれでよいとしてきた。でも意外に登られている金城山北尾根や、報告上の誤りから流布しつつある八海山生金尾根の例もある。当初からきちんと銘々なり特定をしておかないと仲間内での議論や同定でさえいずれ困難を覚えるようになってしまうだろう。とはいえ地名採集などなかなか出来ない私生活と没交渉の地域が命名の対象となって一途も考えにくい。あくまで命名する主体は登山者であり、その登山の便宜がその目的である。
地形図上の等高線の連なりは登山の対象として意識されて初めてその存在を主張し始め、私たちが名付け自ら辿ってみることで、そこに生命がやどるのではないか、などと言ったらあまりに概念的すぎるだろうか。
いつのまにか話しばかり大げさになってしまった。今さらこんなことに気づくというのも自分らの不明を恥じるほかないが、せっかくなのでこの手の問題は今後まじめに考えていこうと思っている。
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