飯豊連峰・無雪期・渓谷初遡行記録集
和井田一雄
年報19わらじ 本文より
初めに
この記録集は「月報・わらじ」平成7年11月号〜同8年9月号まで断続的に8回にわたって連載してきたものをまとめ、若干の加筆修正をほどこしたものです。
特定の山域の渓谷におけるこの種の試みについては、過去において奥利根流域について憬稜登高会(千葉県野田市)の鈴木茂徳氏が「利根川源流の登攀のクロニクル」と題して主な渓谷ごとの記録年表を会報「磁石」第7号(昭和44年9月刊)に発表したのが嚆矢(?)と思われますが、最近では太田五雄氏が「屋久島の山岳」(八重岳書房・平成5年5月刊)において「屋久島登攣史と文献」と題して渓谷の記録の網羅された年表を発表しているのが目につきます。また既に休刊になってしまっている「岩と雪」においても、かつて市川学園山岳OB会が「地域別登行記録抄」と題して広範囲の山域にわたって連載を行ったのも見逃せないものですが、飯豊連峰については対象外でありました。これら先人達の成果をみるにつけ、飯豊連峰におけるこの種の試みが、現在まで体系的にはほとんどなされていないのが残念でなりません。これらの事情を踏まえて、より体系的な登山史年表の完成のための前段階として、今回不正確、不十分を承知の上で敢えてまとめて発表する次第ですので、ご了承のほど宜しくお願いします。
なお、不備な点は遠慮なく御指摘いただきたいと思います。
凡例
1.掲載する記録は、飯豊連峰を巡る主要な水系における主要な沢のみに限定したが、その範囲は厳密なものではなく、主観的な要素も入っている。
2.無雪期とは7月〜10月までとし、6月は残雪期とするので含めていない。なお、開拓初期の記録に限っては、残雪期の記録も含めた。
3.下降記録については、原則として遡行記録よりも早い時期のものに限り掲載した。
4.従来高巻いている顕著な大滝の直登が行われている場合には、その旨を明記した。
5.高巻ルートが明確な場合には、その旨を明記した。
6.沢の名称は過去の文献・集成図において現在一般に使用されているものと別の名称が使用されていた場合、参考として( )内に記した。
1,実川
(1)前川
[1]ビンカガグチ沢(虹吹沢・本流)
昭和12年8月(日付不詳)
下越山岳会・小林(名前不詳)、斎藤智己、佐久間惇一、他(氏名不詳)
弥平四郎〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜前川本流〜ビンカガグチ沢〜飯豊本山(下山路その他詳細不明)
(同会「飯豊」第3号)
(注)下部を省略しているため完全遡行ではないが、源頭まで遡行した最初の記録である。
[1]ビンカガグチ沢(上部・下降)
昭和15年7月9日〜16日
第二高等学校山岳部・佐藤春郎、丸山進、大工原欣一
弥平四郎〜新長坂〜三国岳〜飯豊本山〜ビンカガグチ沢(下降)〜虹吹滝(佐藤の事故のため往路戻る)〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原(集中登山・詳細不明)
(「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”同部・野口義孝氏からの私信)
(注)上部のみであるが、下降記録としては最初のものである。
[1]ビンカガグチ沢(下部〜上部)
昭和26年8月11日〜16日
山形高等学校山岳部・OB大友好正、無所属・坂本栄一、同・佐藤光雄
実川〜湯ノ島小屋〜前川本流〜ビンカガグチ沢〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(大友(現・宮内)好正氏からの私信・同氏記録ノート)
(注)部報等へは未発表の記録であるが、完全遡行した最初の記録である。
[2]御鏡沢(中ノ沢)
昭和34年7月13日〜21日
新潟大学山岳部・田子元、中条節男、久保田康二郎
実川〜湯ノ鳥小屋〜アシ沢〜前川本流右岸高巻〜松ノ木穴沢〜本流左岸高巻(田子・転落事故)〜下追流沢〜一ツ石尾根〜虹吹滝〜御鏡沢〜御西岳〜十文字鞍部(下山路不明)
(同部「飯豊」第8号・「岳人」第288号)
[3]牛ケ首沢(滝沢・牛ケ沢)(東大日沢)(残雪期)
昭和13年5月14日〜16日
越後山岳会・藤島源太郎(藤島玄)、笠原藤七、赤澤清明、案内・赤城馨(弥平四郎)
弥平四郎〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜前川本流〜牛ケ首沢〜大日岳〜実川山〜烏帽子山〜焼曽根山〜要所口〜実川橋
(新潟鉄工所登山とスキー部「登山とスキー」第8号・村松山岳会
「樵林」第1集、笠原藤七「樵林・私の山旅」私家版・茗渓堂)
[3]牛ケ首沢(無雪期)
昭和13年7月13日〜21日
第二高等学校山岳部・三宅隼象・上田勇五、人夫・赤城馨(弥平四郎)
弥平四郎〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜前川本流左岸高巻〜下追流沢〜一ツ石尾根〜虹吹滝〜牛ケ首沢〜牛首山〜大日岳〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”)
[3]牛ケ首沢(無雪期)
昭和13年7月29日〜8月2日
新潟高等学校山岳部・殖栗信義、遠藤六雄
弥平四郎〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜下追流沢〜一ツ石尾根〜虹吹滝〜牛ケ首沢〜大日岳東肩(鞍部)〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(同部「飯豊」第1号・遠藤六雄氏からの私信)
[4]御西沢(滝沢)
昭和18年8月6日〜12日
第二高等学校山岳部・小林浩一、同OB・丸山進
弥平四郎〜鏡山〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜疣岩尾根〜下追流沢〜一ツ石尾根〜虹吹滝〜牛ケ首沢〜御西沢〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(東北大学山岳部・山の会「会報」第1号・第11号)
[5]黒羽根沢(牛の頭沢)
昭和6年8月、7日〜14日
第二高等学校山岳部・津野清也、同OB・田名部繁、村瀬鉄造、桝田定司、人夫・猪股運蔵(実川・松ノ木穴沢手前まで)
実川〜前川堰堤〜湯ノ島小屋〜前川本流左岸高巻〜入り鳥ノ子沢〜本流右岸高巻〜下追流沢〜本流右岸高巻〜虹吹滝〜牛ケ首沢〜黒羽根沢〜牛首山〜大日岳〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原(御西沢の予定を雨天等のため変更)
(「二高山岳会会報」第2号・第4号・同部・岩井昂氏からの私信)
(注)記録文中では牛の頭沢(仮称)と表記されているが、概念図等における遡行ルートから確認されたものである。なお、この記録は前川流域における最初の遡行記録である。
[6]日出谷沢
昭和25年7月15日〜22日
新潟大学山岳部・内海治郎、小林昭治、斎藤宏・同OB・皆川勇、岡村泰
弥平四郎〜滝沢〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜前川本流〜牛ケ首沢〜日出谷沢〜文平ノ池〜大日岳〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(同部「飯豊」第4号・皆川勇氏からの私信)
(注)記録文中では日出谷沢の名称は見当たらないが、遡行コースからの推定である。
[7]入り鳥ノ子沢(入り亀ノ子壷安沢)
昭和21年7月7日〜17日
新潟高等学校山岳部・4名(氏名不詳)
弥平四郎〜中ノ越〜松ノ木穴沢(下降)〜前川本流〜入り鳥ノ子沢〜牛首山(下山路等詳細不明)
(同部「飯豊」(未見)・新潟峡彩山岳会「岳神」第11号所収・中村英糸己“前川の遡行を終えて”)
[8]上ノアシ沢(アシ沢)
昭和35年8月26日〜29日
エーデルワイス山岳会(喜多方市)・関本敏、外島千春、佐藤忠男、三沢寛、斎藤満
実川〜湯ノ鳥小屋〜アシ沢〜上ノアシ沢〜オンベ松尾根最上部〜湯ノ鳥小屋〜実川
(同会「山路歴程」第1号)
[9]下追流沢(追流沢)(下部)
昭和46年7月25日〜27日
学習院大学輔仁会山岳部・絹川祥夫、久保田秀美、佐山正樹
アシ沢手前(BC)〜前川本流(高巻多し)〜下追流沢〜上部左岸尾根〜疣岩山〜三国岳〜飯豊本山〜大日岳〜オンベ松尾根〜アシ沢手前(BC)
(同部「昭和46年夏山報告書」・同部「山桜」第4号“いざや登らん”)
[9]下追流沢(下部〜上部)
昭和54年8月11日〜13日
新潟峡彩山岳会・山田勲、渡辺芳夫、坂井厚
実川〜湯ノ島小屋〜前川本流〜下追流沢〜種蒔山〜三国岳〜長坂〜川入
(同会「岳神」第13号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[10]豊実沢
昭和62年8月13日〜16日
会津山岳会・栗田光基、斎藤憲一
実川〜湯ノ島小屋〜前川本流〜豊実沢〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入(集中登山・詳細不明)
(同会「すかり」第15号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(2)裏川
[1]メッケ穴沢(本流)(コウゲ沢)(上部及び下部)(下降)
昭和7年8月27日〜9月2日
日本山岳会・鈴木岩雄、佐久間喜左衛門(所属不明・実川)、人夫・鈴木政一(実川)
実川橋〜要所口〜裏川本流〜ブナ入り平〜オコナイ尾根1003m峰〜矢沢・政一滝〜本沢(清水沢)〜大日岳〜西大日岳〜メッケ穴沢(下降)〜大日滝右岸高巻〜甲毛滝〜ジッキラ松尾根・タレプノ峰〜同タツベイノタ〜裏川本流〜矢沢出合・天狗橋(往復)〜タツベイノタ〜櫛ノ倉沢出合〜要所口〜実川橋
(「山岳」第28年第1号)
[1]メッケ穴沢(中部〜上部)
昭和54年8月11日〜15日
わらじの仲間・田中茂雄、小川ひさ子、後藤信久
実川橋〜裏川堰堤〜裏川本流左岸高巻〜オコナイ沢〜裏川本流〜矢沢・甲毛滝間右岸高巻〜裏川本流〜大日滝右岸高巻〜メッケ穴沢〜西大日岳〜大日岳〜御西岳〜十文字鞍部〜オーインノ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(「年報わらじ」第3号・1979年度「わらじ叢書」第13号“飯豊”)
(注)本流右岸・ジッキラ松尾根を登り本流中部をエスケープしている記録は散見されるが、同尾根を登らず最小限の高巻により本流を遡行している記録としては、現在判明している最も初期のものである。
[2]矢沢(八沢)(中部)
昭和7年7月13日〜21日
第二高等学校山岳部・鈴木春男、長島昭次、坂本九郎、案内・猪股八十次(実川)
実川橋〜要所口〜ブナ入り平〜オコナイ尾根〜矢沢〜ヒルノコウゲ尾根〜西大日岳〜大日岳〜飯豊本山(下山路他詳細不明)
(「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”)
(注)裏川流域における最初の遡行記録である。
[2]矢沢(中部〜上部?)
昭和7年8月上旬(日付不明)
稲垣(所属・名前不詳)人夫・鈴木政一(実川)他2名(氏名不詳)
実川橋〜要所口〜裏川本流〜ブナ入り平〜オコナイ尾根〜矢沢〜大日岳〜オンベ松尾根〜湯ノ島小屋〜実川(鈴木岩雄氏の伝聞・詳細不明)
(「山岳」第28年第1号)
[2]矢沢(中部〜上部)
昭和7年8月27日〜9月2日
日本山岳会・鈴木岩雄、佐久間喜左衛門(所属不明・実川)、人夫・鈴木政一(実川)
実川橋〜要所口〜裏川本流〜ブナ入り平〜オコナイ尾根1003m峰〜矢沢・政一滝〜本沢(清水沢)〜大日岳〜西大日岳〜メッケ穴沢(下降)〜大日滝右岸高巻〜甲毛滝〜ジッキラ松尾根・タレプノ峰〜同タツペイノタ〜裏川本流〜矢沢出合・天狗橋(往復)〜タツペイノタ〜櫛ノ倉沢出合〜要所口〜実川橋
(「山岳」第28年第1号)
[2]矢沢(下部〜上部)
昭和26年7月11日〜19日
新潟大学山岳部・熊田達郎、斎藤宏、佐久間一誠、竹田(名前不詳)
実川橋〜要所口〜ブナ入り平〜裏川本流〜矢沢出合〜本流〜黒端ナ沢〜西大日岳〜大日岳〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(同部「飯豊」第5号・熊田達郎氏からの私信)
(注)オコナイ沢右岸・オコナイ尾根に登り矢沢下部をエスケープしている記録は散見されるが、同尾根を登らず本流から最小限の高巻により出合附近から矢沢を遡行している記録としては、現在判明している最も初期のものである。
[2]矢沢(下部〜上部)
昭和54年8月4日〜9日
わらじの仲間・橋本道夫、加藤芳彦、沼野隆
実川橋〜裏川堰堤〜裏川本流左岸高巻〜ブナ入り平〜オコナイ沢〜裏川本流〜矢沢出合〜甲毛滝下〜ヒルノコウゲ尾根末端〜矢沢〜持場沢出合〜左岸高巻〜黒端沢出合〜清水沢出合〜牛首付近〜大日岳〜御西岳〜十文字鞍部〜オーインノ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(「年報わらじ」第3号・1979年度「わらじ叢書」第13号“飯豊”)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、高巻きが多く完全遡行ではないものの、出合から源頭まで遡行した記録としては、現在判明している最初のものである。
[3]三杯汁沢(サンビヤン尻ノ沢)
昭和15年7月9日〜16日
第二高等学校山岳部・野口義孝、望月芳雄、村上正雄
弥平四郎〜新長坂〜三国岳〜飯豊本山〜大日岳〜西大日岳〜メッケ穴沢(下降)〜三杯汁沢〜西大日岳〜大日岳〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原(集中登山・日程等詳細不明)
(「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”野口義孝氏からの私信)
[4]烏帽子沢(下部〜中部)
昭和53年8月14日〜16日
新潟峡彩山岳会・込山孝、橋本寅信、丸山祐一郎、楡井利幸
実川〜前川堰堤〜壷安沢〜水晶尾根〜水無沢(下降)〜ブナ入り平〜裏川本流〜烏帽子沢〜上部二俣右岸尾根〜逆サ尾根分岐〜烏帽子山〜ホウジョウ沢(下降)〜オーサンカイ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷(集中登山)
(同会「岳神」第12号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[5]櫛ノ倉沢(クヂノクラ沢)(下部〜中部)
昭和17年7月19日〜26日
第二高等学校山岳部・葛西森夫、飯尾晃、木内修、鳥塚賀治
実川橋〜要所口〜櫛ノ倉沢〜金華穴沢出合〜メッケ穴沢〜イタドリ平〜西大日岳〜大日岳〜飯豊本山(下山路等詳細不明)
(「山岳」第37年第1号・二高山岳会「会報」第6号)
[5]櫛ノ倉沢(下部〜上部)
昭和53年8月14日〜16日
新潟峡彩山岳会・山田勲、坂井厚、渡辺芳夫、山岸敏、戸貝純夫
実川橋〜要所口〜櫛ノ倉沢〜長窪沢〜引上ゲ〜タアバナ〜烏帽子山〜ホウジョウ沢(下降)〜オーサンカイ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷(集中登山)
(同会「岳紳」第12号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
2 玉川
(1)桧山沢(檜山沢)
[1]赤岳沢(赤滝沢)・御手洗沢
昭和7年7月9日〜14日
山形高等学校山岳部・桜井次雄、久米庸孝、案内・渡連善三郎(長者原)
長者原〜温身平〜落合〜桧山沢本流〜赤岳沢〜御手洗沢〜御手洗池〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入(詳細不明)
(安斎徹「東北の山々」朋文堂・コーボルト会「コーボルトその五十年」)
[2]大曲り沢(赤禿沢・お西沢)
昭和14年7月14日〜17日
第二高等学校山岳部・野口義孝、飯島弘,栗原健
長者原〜温身平〜落合〜桧山沢本流〜赤岳沢〜大曲り沢〜天狗ノ庭〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(集中登山・本カゴ沢の予定を誤って遡行)
(「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”野口義孝氏からの私信)
[3]オ庭ノ沢
昭和22年7月11日〜18日
新潟高等学校山岳部・一場正二、升山義久、同OB小野貞二
長者原〜温身平〜落合〜桧山沢本流〜赤岳沢〜オ庭ノ沢〜天狗ノ庭〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(オ庭ノ沢出合まで同一行動の第二高等学校山岳部貞4名は御手洗沢を遡行し飯豊本山を往復後、石転ビ鞍部から温身平〜長者原へ下山)
(同部「飯豊」第3号「二高山岳会会報」第7号「東北大学山の会
会報」第1号)
[4]烏帽子沢(大倉沢)
昭和6年7月9日〜16日
山形高等学校山岳部・桜井敏夫、桜井次雄、案内・渡連善三郎(長者原)
長者原〜温身平〜落合〜桧山沢本流〜烏帽子沢〜クサイグラ尾根〜烏帽子岳〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(安斎徹「東北の山々」朋文堂・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
(注)飯豊連峰(無雪期)の遡行記録として登山案内書に掲載された最初のものである。なお、この記録は桧山沢流域における最初の遡行記録である。
[5]本カゴ沢・右俣(駒形沢・入りカゴ沢・オカゴ沢・エビス沢・入籠沢)
昭和13年7月10日〜19日
山形高等学校山岳部・古関志郎、渡連貞一、奥平浩、案内・藤田俊雄(長者原)
長者原〜温身平〜落合〜桧山沢本流〜本カゴ沢〜右俣〜御西岳〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原(集中登山)
(同部「コーボルト」第5号・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
[6]本カゴ沢・左俣(駒形沢・駒形ノ沢)(下降)
昭和15年7月9日〜15日
第二高等学校山岳部・山懸登、廣瀬文彦、小倉正、今村徳輔
弥平四郎〜新長坂〜三国岳〜飯豊本山〜駒形沢(本カゴ沢・左俣)(下降)〜秋田ノゾミノ平〜赤滝沢(赤岳沢)〜お西沢(大曲り沢)〜御西岳〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原(集中登山・暴風雨のため予定変更・詳細不明)
(同部「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”)
(注)赤岳沢を遡行するための桧山沢本流下部のエスケープルートとしての記録であるが、現在判明している最初の下降記録である。
[6]本カゴ沢・左俣
昭和46年7月30日〜31日
学習院大学輔仁会山岳部・絹川祥夫、角田和幸、久保田秀美、藤大路美興
天狗ノ庭(BC)〜オ庭ノ沢(下降)〜赤岳沢(下降)〜本カゴ沢・左俣〜飯豊本山・駒形山鞍部〜天狗ノ庭(BC)
(同部「昭和46年夏山報告書」同部「山桜」第4号“いざや登らん”)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[7]赤岳沢・左岸無名沢(赤滝沢・はなれぐらの沢)
昭和52年8月14日〜17目
わらじの仲間・田中茂雄、塚田啓一、田中嘉子
長者原〜温身平〜落合〜桧山沢本流〜赤岳沢〜左岸無名沢(右俣)〜左俣源頭〜烏帽子岳〜十文字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(「岳人」第372号・記録速報・「わらじ叢書」第13号“飯豊”)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(2)大又沢
[1]御秘所沢(本流)?
昭和6年7月9日〜16日
山形高等学校山岳部・室谷敏彦、多田嘉之助、案内・筆宝富貴(小玉川)
長者原〜温身平〜落合〜大又沢本流〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入(詳細不明)
(同部「部報」第1号・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
(注)同部「部報」第1号(昭和10年2月8日刊)未見のため、御秘所沢を遡行し飯豊本山に登頂したか不明であるが、現在判明している記録では最初のものである。なお、この記録は大又沢流域における最初の遡行記録である。
[1]御秘所沢
昭和11年7月26日〜8月1日
日本山岳会・飯沼潔水、登坂信雄、案内・本間利一、横山藤右衛門(長者原)
長者原〜温身平〜落合〜大又沢本流〜大岩沢(偵察)〜御秘所沢〜御沢大滝(偵察)〜御秘所沢〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原
(「山岳」第31年第2号)
(注)現在判明している確実な記録としては最初のものである。
[2]大岩沢
昭和11年7月10日〜20日
山形高等学校山岳部・渡連貞一、小池健次郎、案内・三潴松雄(玉川中里)
長者原〜泡ノ湯〜岩魚沢〜温身平〜落合〜大又沢本流〜大岩沢〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原
(同部「部報」第3号・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
[3]本社ノ沢・左俣(四王子ノ沢)
昭和52年8月13日〜16日
わらじの仲間・高和陽吉、清井義雄、矢田陽一
長者原〜温身平〜落合〜大又沢本流〜本社ノ沢(左俣)〜飯豊本山〜大くら尾根〜落合〜温身平〜長者原
(「岳人」第371号・記録速報・「わらじ叢書J第13号“飯豊”)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[3]本社ノ沢・右俣
昭和58年8月14日〜17日
新潟峡彩山岳会・丸山祐一郎、須藤正雄
長者原〜温身平〜落合〜大又沢本流〜本社ノ沢(右俣)〜飯豊本山〜大畠尾根〜落合〜温身平〜長者原
(同会「岳神」第13号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(3)梅花皮沢
[1]滝沢
昭和29年7月16日〜18日
山形大学山岳部・竹川真一郎、兼子芳雄、田中良穂
長者原〜温身平〜滝沢〜梅花皮滝(左岸大高巻)〜赤ツタ尾根〜滝沢本谷〜烏帽子岳〜十文字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(同部「コーボルト」第7号・コーボルト会「コーボルト・その五十年」・山形県山岳連盟「岳速報」第1号)
[1]滝沢(梅花皮滝直登)
昭和55年8月9日〜11日
わらじの仲間・渡辺輝男、小林隆徳
長者原〜温身平〜滝沢〜梅花皮滝(直登)〜赤ツタ尾根〜西ノ峰〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(「岳人」第402号・記録速報・「年報わらじ」第4号・1980年度・「わらじ叢書」第13号“飯豊”)
(注)残置ハーケン・ボルトは最上段・F6の落口で発見されたのみで、他に登られた形跡は見当たらないため、既に直登されていた可能性はないと思われる。
(4)旭又沢
[1]三匹穴沢
昭和57年8月12日〜15日
わらじの仲間・若林岩雄、川井聖一、千田敏之
長者原〜飯豊山荘〜旭又沢〜三匹穴沢〜頼母木山直下登山道〜枯松峰鞍部〜東俣川本流〜北ノ大沢〜杁差小屋〜杁差岳〜頼母木山〜西俣ノ峰〜川入〜長者原
(「岳人」昭和57年12月号・記録速報・「年報わらじ」第6号・1982年度)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[2]沈ミ松沢(本流)(モンド穴沢)(沈ミ松ノ木沢)
不明(未確認)
(5)文覚沢(湯沢)(湯ノ沢)
昭和4年7月7日〜18日
山形高等学校山岳部・森元芳、山遽知道人夫・本間伊代次
長者原〜温身平〜落合(水量多いため大又沢を断念)〜温身平〜小玉川温泉〜湯沢(文覚沢)〜文覚滝〜地神山〜北股岳〜飯豊本山〜大日岳(往復)〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(「山岳」第24年第3号・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
(注)記録の概要が簡略なため詳細は不明であるが、現在判明している記録では最初のものである。
3 大石川
(1)東俣川
[1]千代吉沢(本流)(三吉沢)(残雪期)
昭和6年5月26日〜30日
山形高等学校山岳部・田中実、室谷敏彦、案内・渡連善三郎(長者原)
長者原〜川入〜西俣ノ沢〜上ノ境〜東俣川本流・広川原〜本流〜杁差岳〜北股岳〜飯豊本山〜三国岳〜〜長坂〜川入(登頂コース不詳)
(コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
[1]千代吉沢(無雪期)
昭和31年8月15日〜18日
下越山岳会・坂井厚(単独)
大石〜東俣川登山道〜ブナイデ沢〜三吉ノ峰〜東俣川本流〜千代吉沢〜大石山〜杁差岳(下山路他詳細不明)
(同会「飯豊」第3号)
[2]大沢(残雪期)
昭和27年6月12日〜15日
日本山岳会越後支部・藤島玄、井本巌、佐藤一栄、人夫・高橋千代音(大石)
大石〜東俣川登山道〜ブナイデ沢〜三吉ノ峰〜東俣川本流〜大沢〜杁差岳〜大熊尾根〜大熊小屋〜西俣川登山道〜大石
(新潟峡彩山岳会「岳神」第13号)
[2]大沢(無雪期)
昭和30年8月19日〜20日
下越山岳会・坂井厚(単独)
大石〜沼川鉱山〜東俣川登山道〜ブナイデ沢〜東俣川本流〜大沢〜前杁差岳〜杁差岳〜大熊尾根〜大熊小屋〜西俣川登山道〜大石
(同会「飯豊」第3号)
[3]長者原沢(長者平沢・東大熊沢・タイラミネ沢)
昭和37年8月14日〜17日
亀田山岳会・本田文雄、荒木吉栄、久保勝司
大石〜東俣川登山道〜ブナイデ沢〜三吉ノ峰〜東俣川本流〜長者原沢〜杁差岳〜大熊尾根〜大熊小屋〜西俣川登山道〜大石(詳細不明)
(同会「風雪」第4号・本田文雄氏からの私信)
[4]南ノ大沢
昭和53年8月18日〜21日
仙台山岳会・佐藤明、三浦記章
(記録の概要の発表もないため詳細一切不明)
(「山と渓谷」第487号・ヤマケイジャーナル)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[5]北ノ大沢
昭和57年8月12日〜15日
わらじの仲間・若林岩雄、川井聖一、千田敏之
長者原〜飯豊山荘〜旭又沢〜三匹穴沢〜頼母木山直下登山道〜枯松峰鞍部〜東俣川本流〜北ノ大沢〜杁差小屋〜杁差岳〜頼母木山〜西俣ノ峰〜川入〜長者原
(「岳人」昭和57年12月号・記録速報・「年報わらじ」第6号・1982年度)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(2)西俣川
[1]大熊沢
昭和15年8月14日〜18日
新潟鉄工所登山とスキー部・藤島源太郎(藤島玄)、北村嘉助、斎藤彦太郎、大崎一雄、関口政治、案内・横山柳作(関谷村久保)
大石〜西俣川登山道〜大熊小屋〜大熊沢〜杁差岳〜北股岳〜十文
字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(同部「登山とスキー」第4号・第8号・川崎隆章編「日本名山紀行」体育評論社)
(注)大石川流域における最初の無雪期遡行記録である。なお、「日本名山紀行」では飯豊本山〜三国岳を経て弥平四郎へ下ると明記されており、「登山とスキー」第4号・第8号の記録と相違しているが、前者は案内文の体裁をとっていることから、後者の記録の方が真実と思われる。
[2]鉾立沢(残雪期)
昭和25年6月5日〜7日
日本山岳会越後支部・藤島玄、北村嘉助、山岸栄三郎、佐藤一栄
大石〜西俣川登山道〜大熊小屋〜鉾立沢〜杁差岳〜大熊尾根〜大熊小屋〜西俣川登山道〜大石
(新潟峡彩山岳会「岳神」第13号所収・山田勲“一、七星正傳と傳説”)
[2]鉾立沢(無雪期)
昭和31年7月29日
下越山岳会・坂井厚(単独)
大石〜西俣川登山道〜大熊小屋〜鉾立沢〜鉾立峰(下山路その他詳細不明)
(同会「飯豊」第3号)
[3]中俣川(中ノ俣川)
昭和48年8月14日〜17日
豊栄山岳会(新潟県豊栄市)斉藤春夫、斉藤繁樹、会員外(所属不詳)飯塚景造
大石〜西俣川登山道〜中ノ俣川〜前杁差岳〜杁差岳(下山路不明)
(同会「くつのおと」第3号)
(注)昭和30年代前半に下越山岳会・坂井厚(単独)により遡行されている可能性はあるが、年月日その他詳細が発表されていないため、現在のところ確認されていない。(同会「飯豊」第3号)
4 胎内川
(1)東俣沢
[1]本流(下部・中部)
昭和12年7月4日〜15日
東北帝国大学山岳部・鈴木五郎、山根敏夫、吉村清、東北山の会・藤田尚、案内・佐藤寅之十、須貝二郎(坪穴)
坪穴〜胎内川本流〜東俣沢〜本源沢右岸尾根〜滝沢峰〜二ッ峰〜門内岳〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(「東北山の会会報」第3号・「山岳」第37年第1号・「山と渓谷」第596号所収・吉村清“邂逅の飯豊連峰・胎内川”)
(注)上部(東俣沢核心部)をエスケープしているため完全遡行ではないが、同沢まで到達した記録としては最初のものである。
[2]本源沢・右俣
昭和26年8月14日〜19日
日本山岳会越後支部・藤島玄、長崎達男、佐藤一栄、山岸栄三郎、案内(人夫)・坂上稟次郎(夏井)
夏井〜鹿ノ俣川〜天狗ノ休場〜胎内川本流〜黒石ノアゲマイ〜胎内川本流〜本源沢(右俣)〜一ノ峰直下〜二ッ峰〜北股岳〜オーインノ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(同支部「越後山岳」第5号)
[2]本源沢・左俣
昭和42年8月6日〜12日
渓嶺会(東京)・戸張勝平、渡辺明美
中条〜胎内小屋〜胎内尾根〜池ノ平峰〜尾根(下降)〜胎内川本流(団子河原)〜東俣沢〜本源沢(左俣)〜滝沢峰直下鞍部〜二ッ峰〜門内岳〜丸森尾根〜飯豊山荘〜長者原
(「岳人」第253号・同会「渓」第4号)
(注)残雪期(6月)を除き無雪期の胎内川遡行記録として一般山岳雑誌へ発表された最初のものである。
[2]本源沢・左俣(本流下部〜)
昭和49年9月14日〜17日
三菱瓦斯化学山岳部・新潟渓雪登高会・青木興家、五十嵐上一、松下満
中条〜胎内小屋〜胎内川本流〜東俣沢〜本源沢(左俣)〜滝沢峰〜胎内尾根〜胎内小屋〜中条
(「山と渓谷」第445号)
(注)本流下部〜中部を省略せずに源頭まで完全遡行した最初の記録である。
[3]坂上沢・右俣(大黒沢)(本流)
昭和46年8月25日〜9月2日
京都大学山岳部・岩脇康一、高木真一、瀬戸嗣郎
長者原〜飯豊山荘〜梶川尾根〜門内岳〜二ッ峰〜胎内尾根〜池ノ平峰直下J・P尾根(下降)〜胎内川本流(団子河原)〜東俣沢〜坂上沢(右俣)〜二ッ峰〜門内岳〜丸森尾根〜飯豊山荘〜長者原
(同部「報告」第16号・同「ルーム日誌」中条山の会・五十嵐力「山のはなし」私家版)
(注)東俣沢本流である坂上沢・右俣を源頭まで遡行した最初の記録である。
[3]坂上沢・左俣(恵比須沢)
昭和54年9月1日〜4日
小名浜山岳会(福島県小名浜市)大平勝雄、手塚実、蛭田恵
中条〜胎内小屋〜胎内川本流〜東俣沢〜坂上沢(左俣)〜一ノ峰と二ッ峰の鞍部〜門内岳〜梶川尾根〜飯豊山荘〜長者原(詳細不明)
(同会・佐々木志津男氏からの私信)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
[4]作四郎沢(上ノ作四郎沢)
昭和43年8月16日〜21日
渓嶺会(東京)・吉井哲雄、宮本博之
中条〜胎内小屋〜胎内尾根〜「福松ノ泊場」(滝沢峰・東鞍部)〜本瀕沢(左俣・下降)〜東俣沢本流〜坂上沢〜作四郎沢〜岩崩レ〜二ッ峰〜胎内尾根〜胎内小屋〜中条
(同会「渓」第4号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(2)西俣沢
[1]右岸・無名沢(仮称)
昭和27年7月10日〜20日
東北大学山岳部・大葉伸、大村吾郎、宮沢忠雄
宮久〜鹿ノ俣川〜(天狗ノ休場)〜胎内川本流〜黒石沢〜黒石ノアゲマイ〜胎内川本流〜西俣沢〜右岸無名沢〜藤十郎山・岩崩レ中間地点〜二ッ峰〜北股岳〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(「東北山の会会報」第2号・大業伸氏からの私信)
(注)現在判明している西俣沢における記録では最初のものである。
[2]金尻沢
昭和36年8月15日〜18日
下越山岳会・五十嵐篤雄、土田純司、中村史郎、菊池敏夫、菅家政司、浅香稔、菅靖夫、小林収、菅捷郎
宮久〜胎内小屋〜黒石ノアゲマイ〜楢ノ木沢〜胎内川本流左岸高巻〜作四郎沢〜本流〜西俣沢〜金尻沢〜赤津山〜西ノ峰〜四郎左衛門尾根(赤津沢西ノ沢右岸尾根)〜飯豊川林道〜東赤谷
(同会「飯豊」第3号・「岳人」第288号)
[3]千石沢・右俣
平成3年8月10日〜14日
わらじの仲間・若林岩雄、伊藤泰造、和井田一雄、門脇耕一
中条〜胎内小屋〜胎内川本流〜浦島ノ廊下(増水のため高巻く)〜本流〜西俣沢〜金尻沢〜千石沢(右俣・右沢)〜千石平付近〜赤津山〜西ノ峰〜四郎左衛門尾根(赤津沢西ノ沢右岸尾根)〜飯豊川林道〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(「岳人」第541号・記録速報・「年報わらじ」第15号・1991度)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(3)頼母木川
[1]大瀬戸沢(池ノ沢)
昭和17年7月17日〜26日
第二高等学校山岳部・大関久平、高橋昌福、案内・(人夫)・坂上稟次郎(夏井)
夏井〜鹿ノ俣川〜夏越戸〜天狗ノ休場〜胎内川本流〜頼母木川〜大瀬戸沢〜池ノ沢〜鞍部付近〜門内岳〜飯豊本山(下山路不明)
(「山岳」第37年第1号・「二高山岳会会報」第6号)
[1]大瀬戸沢(稟次郎沢)(残雪期)
昭和27年5月5日〜10日
日本山岳会越後支部・藤島玄、佐久間惇一、井本巌、水野善一郎、斉藤平七、人夫・坂上稟次郎(夏井)
宮久〜鹿ノ俣川〜天狗ノ休場〜胎内川本流〜黒石ノアゲマイ〜本流〜胎内尾根末端〜頼母木川本流〜大瀬戸沢〜稟次郎沢〜地神山〜文覚沢(下降)〜小玉川温泉(飯豊温泉)〜長者原
(同支部「越後山岳」第5号)
[1]大瀬戸沢(無雪期)
昭和38年8月14日〜18日
新潟峡彩山岳会・田中賢−、山田勲
中条〜胎内小屋〜頼母木川〜大瀬戸沢〜稟次郎沢〜地神山〜門内岳(下山路不明)
(同会「岳神」第8号)
[2]小俣沢
昭和48年8月15日〜16日
新潟峡彩山岳会・井出秀雄、黒川隆、渡辺正弘、細井孝雄
中条〜胎内小屋〜足ノ松尾根取付〜頼母木川〜小俣沢〜上ノ小俣沢〜地神山〜門内岳(往復)〜大石山〜足ノ松尾根〜胎内小屋〜中条
(同会「岳神」第12号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(4)作四郎沢(涸沢)(下ノ作四郎沢)
昭和54年8月3日〜4日
水沢化学山岳会(新潟)伊藤久司、高橋一郎、亀山東剛
中条〜胎内小屋〜アゲマイノカッチ(黒石ノアゲマイ)〜作四郎沢〜二本木山・肩〜二王子岳〜黒石山〜胎内小屋〜中条
(「山と仲間」第129号同会“地域研究・続・飯豊連峰胎内の沢・二王子岳東面の沢”)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(5)楢ノ木沢(堂沢)(下降)
昭和5年7月15日〜27日
第二高等学校山岳部・佐々久、吉成季雄、吉田正太郎、深田正雄、伊澤平康、長島津直、案内・小柴豊吉(赤谷)
赤谷〜二王子岳〜楢ノ木沢(下降)〜胎内川本流〜胎内尾根〜二ッ峰〜藤十郎山〜赤谷(頼母木川の予定を変更・下山路他詳細不明)
(「山岳」第37年第1号・同部「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”)
(注)頼母木川遡行のための胎内川本流下流部(頼母木川出合まで)のエスケープルートとしての記録であるが、現在判明している最初の下降記録である。
(5)楢ノ木沢・左俣(堂沢)
昭和34年8月15日〜17日
下越山岳会・佐久間惇一、杉原八百樹、坂井厚、小林収、案内・井上藤七(宮久)
宮久〜胎内小屋〜黒石ノアゲマイ〜楢ノ木沢〜左俣〜二王子岳〜二王子紳社(二俣まで及び二王子岳からは右俣パーティと同一行動)
(同会「飯豊」第3号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(5)楢ノ木沢・右俣(鴨沢)
昭和34年8月15日〜17日
下越山岳会・五十嵐篤雄、島津甲子郎、土田純司、鈴木敏雄、新田瀬、菅家政司、貴船継雄、田辺仁重
宮久〜胎内小屋〜黒石ノアゲマイ〜楢ノ木沢〜右俣〜二王子岳〜二王子神社(二俣まで及び二王子岳からは左俣パーティと同一行動)
(同会「飯豊」第3号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(6)滝沢
昭和57年8月14日〜16日
わらじの仲間・渡辺輝男、矢部真二、滝沢徳明
中条〜胎内小屋〜胎内尾根〜池ノ平峰〜尾根〜胎内川本流(滝沢出合)〜滝沢〜滝沢峰〜二ッ峰〜門内岳〜西俣ノ峰〜川入〜長者原
(「年報わらじ」第6号・1982年度)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(7)薬研沢〜長兵衛沢(下降)
昭和58年8月13日〜15日
わらじの仲間・宮内幸男、鈴木雅土
中条〜胎内小屋〜黒石ノアゲマイ〜楢ノ木沢〜胎内川本流〜薬研沢〜ヤングン峰〜長兵衛沢(下降)〜本流〜西俣沢〜金尻沢〜赤津山〜四郎左衛門尾根(赤津沢右岸尾根)〜飯豊川林道〜東赤谷(「年報わらじ」第7号・1983年度)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
5 内ノ倉川
(1)本流
昭和37年8月15日〜19日
下越山岳会・鈴木敏雄、中村四郎、浅香稔、菅靖夫
滝谷新田〜内ノ倉林道〜石幹沢出合〜本流〜赤津山・三本槍〜赤津西峰〜四郎左衛門尾根(赤津沢西ノ沢右岸尾根)〜飯豊川林道〜東赤谷
(「山と渓谷」第294号)
(2)七滝沢
昭和16年10月(日付不詳)
新潟高等学校山岳部・殖栗信義、山崎敬、藤田俊雄
(詳細不明)
(同部「飯豊」第3号)
(注)昭和22年8月26日〜29日新潟高等学校山岳部・布施栄明他による七滝沢の記録文中において「部に残る記録」と明記されており、現在判明している記録では最初のものである。なお、この記録は内ノ倉川流域における最初の遡行である。
6 飯豊川
(1)本流(残雪期)
昭和11年6月5日〜8日
越後山岳会・藤島源太郎(藤島玄)、笠原藤七、下越山岳会・佐久間惇一、案内・横山柳作(関谷村・久保)
赤谷〜湯ノ平温泉〜赤谷登山道(飯豊川本流右岸)〜本流〜文平沢出合〜天狗沢〜天狗ノ御田(天狗ノ庭)〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(新潟鉄工所登山とスキー部「登山とスキー」第8号・村松山岳会
「樵林」第1集・笠原藤七「樵林・私の山旅」私家版・茗渓堂)
(1)本流(無雪期)
昭和11年7月16日〜22日
第二高等学校山岳部・桑田欣喜、吉田和夫、伊澤平達、人夫・井上英橘(赤谷)
赤谷〜湯ノ平温泉〜赤谷登山道(飯豊川本流右岸)〜孫左衛門沢(下降)〜本流〜文平沢出合〜御田尾根(本流左俣・右岸尾根)〜天狗ノ御田(天狗ノ庭)〜飯豊本山(下山路その他詳細不明)
(同部「二高山岳会会報」第4号“飯豊特集号”・同部「部室日誌」(未見))
(注)下流部は赤谷登山道により省略しており完全遡行ではないが、無雪期に本流を源頭まで遡行した最初の記録である。
(2)洗濯沢(センダク沢)・清十郎沢
昭和3年8月15日〜19日
日本山岳会・藤島源太郎(藤島玄)、安藤正一、案内・人夫・佐久間清十郎(滝谷)
東赤谷〜湯ノ平温泉〜赤谷登山道(飯豊川本流右岸)〜洗濯沢〜清十郎沢〜洗濯平〜北股岳〜飯豊本山(往復)〜御峰(御手洗ノ池先)〜赤谷登山道(赤渋沢源頭〜洗濯沢左岸尾根〜洗濯沢〜本流右岸)〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(「山岳」第23年第1号)
(注)飯豊川流域における最初の遡行記録である。
(2)洗濯沢・烏帽子沢(中ノ沢)(下降)
昭和37年8月15日〜18日
山形大学山岳部・OB・梅津栄一、同部・佐藤捷生、根津隆二
石転ビ沢・地竹原(BC)〜十文字鞍部〜烏帽子沢(中ノ沢)(下降)〜洗濯沢(下降)〜飯豊川本流〜大日沢〜大日岳〜文平ノ池(下山路不明)
(同部「コーボルト」第9号)
(注)大日沢遡行のための飯豊川本流下流部のエスケープルートとしての記録であるが、現在判明している最初の下降記録である。
(2)洗濯沢・烏帽子沢
昭和52年8月12日〜15日
新潟峡彩山岳会・橋本寅信、丸山祐一郎、檎井利幸、土佐誠、坂田晋
東赤谷〜湯ノ平温泉〜オーインノ尾根〜中峰〜孫左衛門沢(下降)〜飯豊川本流〜洗濯沢〜烏帽子沢(中ノ沢)〜十文字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(同会「岳神」第12号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(3)大日沢
昭和32年8月15日〜18日
新潟峡彩山岳会・佐藤一栄、原始、田辺修、加藤勝義、今成幸夫
東赤谷〜湯ノ平温泉〜オーインノ尾根〜洗濯平〜洗濯沢・清十郎沢(下降)〜飯豊川本流〜大日沢〜大日岳〜オンベ松尾根〜湯ノ島小屋〜実川
(同会「岳神」第1号「新潟日報」昭和32年8月24日)
(4)地蔵カル沢
昭和34年7月13日〜26日
新潟大学山岳部・荒井辰彦、荒木弘文、北村剛
東赤谷〜湯ノ平温泉〜旧道跡(飯豊川本流右岸)〜大石沢(下降)〜本流〜地蔵カル沢〜西大日岳〜大日岳〜御西岳〜十文字鞍部へオーインノ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(同部「飯豊」第8号「山と渓谷」第321号)
(5)赤渋沢(赤ソデ沢)
昭和26年7月16日〜26日
東北大学山岳部・橋本徳朗、浦林幸久、五十嵐隆、大村吾郎
東赤谷〜湯ノ平温泉〜旧道跡(飯豊川本流右岸)〜孫左衛門沢(下降)〜本流〜赤渋尾根(赤渋沢左岸尾根)〜赤渋沢〜烏帽子岳・肩〜御西岳(往復)〜十文字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(「東北大学山の会会報」第1号)
(5)赤渋沢(赤渋大滝直登)
昭和53年8月12日〜15日
わらじの仲間・丸山春夫、高瀬匡雄
東赤谷〜湯ノ平温泉〜飯豊川本流〜赤渋大滝(直登)〜赤渋沢〜烏帽子岳〜オーインノ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(「わらじ叢書」第13号“飯豊”)
(注)出合の赤渋大滝(2段80m)を直登して遡行した記録としては、現在判明している最初の記録である。
(6)滝谷沢
昭和53年7月24日〜27日
東北学院大学山岳部OB会・仙台RCC・鈴木一郎、加茂敏之
東赤谷〜湯ノ平温泉〜飯豊川本流右岸〜孫左衛門沢(下降)〜本流〜滝谷沢〜御手洗池付近〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入
(「山と渓谷」第491号・登攀月報)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(7)赤津沢・西ノ沢〜東ノ沢(下降)
昭和35年8月15日〜17日
下越山岳会・鈴木敏雄、浅香稔、菅靖夫、菅捷朗、貴船継雄、小林収
束赤谷〜飯豊川林道〜赤津沢・西ノ沢〜三本槍と赤津前山との最低鞍部〜赤津山〜赤津沢・東ノ沢(下降)〜飯豊川林道〜東赤谷
(同会「飯豊」第3号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(8)文平沢(文平ノ沢)(本流・右俣)
昭和25年7月24日〜8月4日
新潟大学山岳部・小林兼一郎・新発田高等学校山岳部員1名(氏名不詳)
東赤谷〜湯ノ平温泉〜旧道跡(飯豊川本流右岸)〜洗濯沢〜本流〜二俣〜右俣(文平沢)〜池ノ平(文平ノ池)〜御西岳〜北俣岳〜地神山〜丸森尾根〜飯豊温泉〜長者原(詳細不明)
(同部「飯豊」第4号)
(注)記録概要には「文平沢」の記載はないが、遡行コースからの推定である。
(8)文平沢
昭和39年8月14日〜17日
新潟峡彩山岳会・井出秀雄、今井義雄
東赤谷〜湯ノ平温泉〜旧道(測量道・飯豊川本流右岸)〜孫左衛門沢(下降)〜本流〜滝谷沢出合上流〜本流右岸高巻〜元天狗沢(無名沢)〜二俣〜文平沢〜右俣〜大日岳直下稜線〜御西小屋〜大日岳〜オンべ松尾根〜湯ノ島小屋〜実川(集中登山)
(同会「岳神」第10号・「山と渓谷」第421号・同会“地域研究・飯豊連峰”)
(注)(9)天狗沢(本流・左俣)同会パーティと二俣(天狗沢出合)まで同一行動である。
(9)天狗沢(本流・左俣)(残雪期)
昭和11年6月5日〜8日
越後山岳会・藤島源太郎(藤島玄)、笠原藤七、下越山岳会・佐久間惇一、案内・横山柳作(関谷村・久保)
赤谷〜湯ノ平温泉〜赤谷登山道(飯豊川本流右岸)〜本流〜文平沢出合〜天狗沢〜天狗ノ御田(天狗ノ庭)〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(新潟鉄工所登山とスキー部「登山とスキー」第8号・村松山岳会「樵林」第1集・笠原藤七「樵林・私の山旅」私家版・茗渓堂)
(9)天狗沢(無雪期)
昭和17年7月10日頃〜17日頃
新潟高等学校山岳部・石川努、渡合重彦、志村圭七郎
東赤谷〜湯ノ平温泉〜赤谷登山道く飯豊川本流右岸)〜洗濯沢〜本流(右岸大高巻)〜左俣(天狗沢)上部〜天狗岳〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜長坂〜川入(集中登山)
(同部「飯豊」第1号・石川努氏からの私信・渡合重彦氏“飯豊川登頂日誌”)
(9)天狗沢(無雪期)
昭和39年8月14日〜17日
新潟峡彩山岳会・山田勲、中村英記東赤谷〜湯ノ平温泉〜旧道(測量道・飯豊川本流右岸)〜孫左衛門沢(下降)〜本流〜滝谷沢出合上流〜本流右岸高巻〜元天狗沢(無名沢)〜二俣〜天狗沢〜左俣〜天狗岳付近〜御西小屋〜大日岳〜オンベ松尾根〜湯ノ島小屋〜実川(集中登山)
(同会「岳神」第10号・「山と渓谷」第421号同会“地域研究・飯豊連峰”)
(注)(8)文平ノ沢・同会パーティと二俣(文平沢出合)まで同一行動である。なお、天狗沢の名称は藤島玄氏編「飯豊連峰大地図」(富士波出版社)「エアリアマップ34飯豊山」(昭文社)共に、本流源頭部の文平沢との二俣における左俣ではなく、更に下流の本流右岸から天狗ノ庭〜御手洗ノ池間の稜線に突き上げる顕著な沢に付けられているが、上記記録文中においても、この沢が古い資料では「天狗沢」になっていたとして「元天狗沢」と記して、本来の「天狗沢」は文平沢との二俣における左俣であると指摘しているので、これが正当と考えられる。
(10)大ヤット沢
昭和49年8月15日〜16日
新潟峡彩山岳会・込山孝、坂田惇
東赤谷〜岩越平〜飯豊川本流〜大ヤット沢〜大セト沢(本流)〜烏帽子山〜蓬沢(ホウジョウ沢・下降)〜オーサンカイ尾根〜岩越平〜東赤谷(集中登山)
(同会「岳神」第12号・第14号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(11)都沢
昭和49年8月15日〜16日
新潟峡彩山岳会・井出秀雄、愉井利幸、坂井厚
東赤谷〜飯豊川林道〜飯豊川本流〜都沢〜権吉ノ沢(本流)〜丸子カル〜烏帽子山〜蓬沢(ホウジョウ沢・下降)〜オーサンカイ尾根〜岩越平〜東赤谷(集中登山)
(同会「岳神」第12号・第14号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(12)黒沢〜福取沢(下降)
昭和54年8月11日〜14日
わらじの仲間・清井義雄、関根幸次、里井教郎
東赤谷〜湯ノ平温泉〜留平(飯豊川本流右岸)〜本流〜黒沢〜実川山〜キンカ穴ノ峰〜福取沢(下降)〜飯豊川本流〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(「年報わらじ」第3号・1979年度・「わらじ叢書」第13号“飯豊”)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のと
ころ確認されていない。
7 北股川
(1)財布沢(本流)(中部〜上部)
昭和15年7月16日〜21日
新潟高等学校山岳部・巻淵敏郎、藤田俊雄、岡本康吉、人夫・松原新太郎(赤谷)
東赤谷〜北股川出合〜本流〜財布沢〜北股岳〜御西岳〜飯豊本山〜三国岳〜新長坂〜弥平四郎
(同部「飯豊」第1号・下越山岳会「飯豊」第3号「岳人」第288号)
(注)記録が簡略なため詳細は不明であるが、上記下越山岳会の記録文中の伝聞によると、本流下部は大高巻している可能性が高いものの、残雪期以外に本流を詰めて北股岳まで達した記録としては、最初のものである
(1)財布沢(下部〜上部)
昭和25年8月14日〜20日
下越山岳会・佐久間惇一、林孝司、星常二、土田純司、水野善一郎、人夫・星三郎(滝谷)、栗原忠次(同)
東赤谷〜北股川出合〜本流〜財布沢〜北股岳〜オーインノ尾根〜湯ノ平温泉〜東赤谷
(同会「飯豊」第3号・「岳人」第288号)
(注)本流下部を省略せずに完全遡行した記録としては最初のものである。
(2)鮎倉沢
昭和21年7月6日〜18日
新潟高等学校山岳部・皆川勇、同OB・町野武、宗田淳
東赤谷〜湯ノ平温泉〜オーインノ尾根1100m付近〜北股川本流〜入り大石沢〜中間尾根〜鮎倉沢〜北股岳〜十文字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜長者原
(同部「飯豊」第2号(未見)下越山岳会「飯豊」第3号・「岳人」
第288号・宗田淳氏からの私信)
8 長走川(新谷川)
(1)大滝沢(本流)
昭和24年8月6日〜8日
東蒲原山岳会(新潟県津川町)井本巌、小泉喜重
日出谷〜上ノ峠〜長走川本流〜大滝沢〜烏帽子山〜タアバナ〜木下シ〜焼曽根山〜要所口〜実川橋〜日出谷
(日本山岳会越後支部「越後山岳」第5号)
(2)白滝沢
昭和47年8月4日〜7日
郡山山岳会・成田安弘、鶴田進
日出谷〜上ノ峠〜長走川本流〜白滝沢〜タアバナ沢〜タアバナ〜逆サ尾根〜本流〜上ノ峠〜日出谷
(「郡山山岳会会報」第2号(未見)・第4号・第10号)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
9 白川
(1)七森沢(本流)
昭和45年7月31日〜8月2日
郡山山岳会・泉田昇、伊藤博行、成田安弘、こまくさ山岳会(郡山市)水上雅、鈴木宏和
大日杉小屋〜枯松沢〜本流〜七森沢〜七森(下山路不明)
(同会「郡山山岳会会報」第1号(未見)・第10号・「山と渓谷」第386号・登挙月報)
(注)既に遡行されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。なお、二俣からは右俣(本谷)パーティと左俣(三国沢・仮称)パーティに別れて遡行しているが、メンバーの内訳は不詳である。
|