『わらじ』の未来は
吉原清人

年報23わらじ 巻頭言より

この年報23は1999年度の活動報告としてまとめられた、われら『わらじの仲間』にとっては貴重な記録であり、財産である。この本誌の内容を見てもらえば、その1年間の会員の個々人の考えや行動を伺い知れるだけでなく、会としての考え方や行動もわかる。さて、会員各々の個人的な活動、会活動は、いかがであっただろうか?

2000年を迎えるにあたって、チーフ:村山―代表:宮内の強力主導権形のリーダー会体制から、チーフ:吉原―代表:宮内の体制へと変わった。あまり知る人はいないが、この交代は実のところ当会にとって非常に危ない交代であった(交代にするつもりである)。こめ年報が完成し、会員の手に配られる頃には、その危険な変革に気づき始めている人もいるだろう。これまでは、面倒見の良いリーダーや、献身的な貢献をしてもらえる一部の会員が、会の運営から山行の立案、さらには、その山行中の行動まで面倒を見てきていた。果たしてこれが、山登りを活動の中心とする山岳会のあるべき本当の姿なのだろうか? これが、全て『自己完結すべき事により魅力をなす』山登りをする者の、あるべき姿なのだろうか?
チーフである私の個人的な偏見かも知れないが『会活動がありきで、それ故に個人の行動がある』わけではなく、『個々人の目標に向かう行動の結果が会活動であり、個々の行動の収束した方向の表れが、会活動の進むべき方向である』と考えている。一般的には、現在の志向の多様化などの風潮からすれば、特徴的な考えや行動をなす山岳会は分裂・縮小化の一途を辿り、面倒見の良い山行企画団体のような山岳会は、肥大化の一途を辿ると考えられる。が、しかし、果たして本当にそうであるのか? まあ、所属している全会貝がそれを由とすれば、他から云々言うことではないが、『わらじの仲間』はそうであって良いとは、少なくとも私自身は思っていなもい。有り難いことに、今のわらじの仲間には、そのように考え行動している人間が、数は多くはないが確実にいる。だからこそ、チーフを受けたのである。

この1年間の会活動では、できるだけリ−ダー会が先頭に出ないように活動し、リーダー会も含めた会員から不満や不平が表面化し、意見が出るまでチーフとしての行動をしないことにしてきた。有り難いことにリーダー会の中では不満から始まって、自分から議論に参加し、建設的な意見を出してくれる人間が増えている。むろん、決してリーダー会員だけに限られたことではなく、入会年度の浅い人たちからも貴重な意見を頂いている。そのような、会員一人一人が考え、行動してくれることこそが「自分の山行の将来」を決定し、引いては「わらじの仲間の将来」を決めるものと考えている。そんなことは理想論で非現実的だ、と、言われても、ほんの僅かばかりではあるが、良い方向に向かっている流れが生まれてきていることは確実である。むろん、全会員がその流れに乗っているとは、現状ではとても言い難いが、そんなことが問題であるとは思わない。
これからの『わらじの仲間』を創っていくのは、リーダー会でも運営委員会でもない、まさに、この年報を手にしている、そう『あなた』なのです。
さあて、これからの『わらじ』がいろんな意味で楽しみだ。 2000年11月 2000年度チーフリーダ

 

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