沢登りの目標を持っていますか?
須田忠明

年報27わらじ 巻頭言より

突然の質問ですが、あなたは沢登りの目標を持っていますか?
フリークライミングの世界には、グレードという確立されたもの7があり、その向上を目標にしている人が多いだろう。沢登りにもガイドブックによってはグレードが付けられてはいる。
しかし、季節の違いによる水量や雪渓の残り具合、さらには滝を登るか巻くかのルート取りひとつで困難度は違ってくる。今時○級の沢を登るのが目標だという考え方をする人も少ないだろう。そういう意味では、沢登りにおける目標設定は難しい。目標という言葉が適当でなければ、憧れと言ってもいい。「今年は○○のルートへ行きたい」最近そんな声が聞こえてこないような気がする。かつてのように会で揃って地域研究ということもなく、合宿・集中だから、訓練山行だからと何となく山へ行って満足している、と言ったら言い過ぎだろうか?
憧れのルートがあれば、そのためにはどうすればよいかということも自ずと考えるだろう。滝の多いルートを目標とするならば、登攀力を磨くだろうし、泳ぎの続く沢を目指すならば、短い泳ぎの所から徐々に経験を積んでいくだろう。
かつて代表の宮内さんは1997年3月にS字峡より黒部川横断をした際に「心に描いた事はそれを忘れずに長いこと続けていればいつかは成果が向こうからやってきてくれると言うこと、とはいえ、何事も即席には実現できないこと、そしていつも心にとめて忘れずにいることが肝心ということ」と年報21に記している。
もちろん自分もそうだったが、はじめはガイドブックで紹介されている有名なところに行き、そのうちに目指すものが出来ればよいのだろう。そのステップの中でグレードを利用するのもいいかもしれない。もちろん、困難を求めるだけでなく、自分なりのこだわりを持って遡行するのも楽しいだろう。そのこだわりは山域でも構わないし、森や釣りかもしれない。
沢登りの楽しみ方もそれぞれであり、皆が困難な目標を立てろと言うわけでもない。ただ、今のように越後や飯豊で合宿や集中を続けるというのならば、ある程度グレードを上げるというような考え方も必要ではないだろうか。私は入会した頃に、そのように考えていたわけではない。ただ、毎週のように行っていた分、量が質に転化したのだと思っている。
もうひとつ、目標とも違うが、競争と言い換えてもいい。今のわらじに適度な競争はあるのだろうか? 私が入会した頃は同世代が多く、山行日数で競っていたような気もする。もちろん、競うのは日数だけでなく、山行内容ということでもよい。数年前のことだが、ある人が「この先の滝は、記録では大津さんも巻いたので高巻きでしょう」と言った。実際は崩れた雪渓の先で取り付くどころか、滝を見ることもかなわなかったのだが、それを聞いて少し寂しく感じたのは事実だ。今の私たちは遡行図を見たり、経験者の話を聞けるだけ以前より楽をしている。それならば、より良い登り方を目指しても良いのではないだろうか。より良くというのも漠然としてはいるが、ひとつにはより安全に、より早くを目指すことと言ってもいいかもしれない。
もちろん、巻いた滝を登るばかりではなく、沢登りはハーケンを打ったりなどの支点の作成、ルートファインディング、渡渉技術、幕場での生活技術、さらには食料調達能力(私はほとんどないが)などさまざまな能力が要求される。そういったもののひとつずつでも、各自が出来る所から向上させていけばよいのではないだろうか。経験を積むことによって、昨年よりも向上している自分がいるのを発見するのは、この上ない喜びだろう。今すぐに全ての面で先人を上回れとは言わないが、せめて体力は今年中に追いつくとか、期限を切ったり、具体的にしていくことで、より目標の達成が近づくのではないだろうか。
昨年は、久しぶりに多くの新人が入会した。今までどちらかというと他の会から移ってきたり、学生時代に山のクラブに入っていた人が多かったのに対し、あまり沢登りの経験がない人も含まれている。新しい人にとっては、実力差が大きいとか、覚えることや買わなければいけない道具が多いなどと、大変に感じることは多いと思う。時に厳しい言い方に思われるかもしれないが、諦めずに食らいついてもらいたいと思う。今、知らないことがある、何かができないことがあるということは、それだけ伸びしろがあるということだ。
逆に言えば、入った人をどう育てるのか、そのことについて我々のほうが試されているのかもしれない。会員が高齢化しているのは止むを得ないが、その分我々には経験があると思いたい。どのようにステップアップを踏めばよいかなど、教えられることはそれぞれたくさんあるはずだ。新しい人の方も、教えられるのを待つのではなく、技術は盗むものだと思ってもらいたい。わらじの仲間は長い歴史と実績のある山岳会だが、その経験を次に伝えていく機会は、今がラストチャンスではないかと近頃感じている。
えらそうなことを並べてきたが、さて自分には沢登りの目標はあるのだろうか? 入会した頃は雪渓の残るような大きな沢へ行きたい、飯豊の沢にリーダーで行きたいというものはあった。しかし、今となると、かつて一緒に登っていた同世代の仲間は転勤やフリークライミングに専念で会を去り、夢を語る相手もいない。また、高所恐怖症で金槌なので大滝登攀やゴルジュ突破に目も向かない。また、後進の指導というほど老け込む年でもない。正直なところ、沢登りに対して明確な目標が見つからない。だから合宿や集中で数をこなしても、つまらないと近頃感じているのかもしれない。
目標とは違うが、今年は新しい試みとしてMTBを利用した山行をいくつか行なった。来年は自作したカヌーを用いて、人の行かないようなところへ行ってみようかと考えている。刃物ヶ崎や貝ノクラのスラブ、そして毛猛の檜沢、南会津の白戸川流域、奥利根でも割沢〜赤倉沢を始め、行ってみたい所は次々に思い浮かぶ。やはり山は、次の計画を考えている時が一番楽しい。
追記
今この原稿を書いている時点(2004年10月)で、ひどい腰痛に悩まされている。そんな時出合った本に「腰痛は怒りだ」というのがある。それによると、腰痛は腰椎の変形ではなく、ストレス(抑圧された怒り)により発生するのだと科学的データを基に解説している。なるほどこの1年間は、飯豊で夏合宿をやるというのに、このままでいいのかという怒りに満ち満ちていた気がする。やはり3年前の長走川の事故のことが頭にあり、平常心ではなかったのかもしれない。上記のように「〜しなくては」と考えるのも良くないのかもしれない。結局「楽しむ」という一番大事なことを忘れていたようだ。宮内さんの口癖の「なるようになるさ」というのも長続きの秘訣と言うか、悪くないのかもしれない。

 

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