みなさん これからの沢登り
どのようにして 楽しんでいきましょうか?

遠藤 淳

年報28わらじ 巻頭言より

年報の原稿を書きながら、この1年を振り返ってみる。秋のこの時期、皆はそんな作業をしているのだろうと思う。私は、何を隠そう、すでに本厄を迎える年なのでこの先はそう長くない。したがって、このシーズンを綿密に振り返るというより、これまでの登山人生を顧みてガックリと肩を落とし、行く末についてわずかに思いをいたす程度の「無反省人間」である。

入会したばかりの頃は、沢の美しさ、藪漕ぎのつらさ、滝場や急な草付きを登る怖さ、焚き火の楽しさなど、沢が与えてくれるものを生き生きと心深くに感じられたのに、特に最近その感動が薄いような気がしてならない。困ったことだ。老化による感性の鈍化のせいかもしれないが、「苦労がない」「慣れてしまった」というのが本当のところだろう。「まぁだいたいこんなもんだね」といいながら登る山はそこそこのものしか与えてくれないものだ。
ある会員がいうには「沢登りはある程度やると、だいたいの沢はこなせるようになる。だって登れない滝は巻けばよいのだから」たしかに岩登りでは「登れない」「コワイ」「こんなとこ登ったヤツの顔が見たい(当然ゴマンといる)」「アブミ出しちゃおうか、んー、でも…」のオンパレードで「困った」の連続であったから、取り付く前の不安や動揺は相当のものであった。その点、沢登りは気が楽だ。私もできるだけ滝は直登したい方だが、こりゃ登れんというのが出てくれば、さっさと巻く。巻きルートはたいていの場合少し戻ればどこかしらあるからである。

たいていの人は沢を始めてから2〜3年もして当初の興奮が冷めてくると、次第にマンネリ化に蝕まれて、知らず知らずのうちに沢登りという登り方に慣れて必ず飽きが来る。初めの頃こそ、「次は4級の沢だ」とか「いよいよ5級だ」と喜んでいても、溯行してみれば日数が余計にかかるとか、逃げ道がないとかの違いくらいで、ガイドブックにつけられたグレードが示すものにさして意味がないことにすぐに気づく。そうなると次にどこ登るかというのは、なかなかセンスを問われることになる。岩登りであれば、頭抜けた登山者でもないかぎり、常に次なるグレードのルートが存在し(しかもそのグレーディングはそのとおりに難しい)、課題を提供し続けてくれるけど、沢登りは自分で何かプラスアルファのテーマを見つけられないと、「どーこ行こーか」ということになるわけですね。

会の先達たちには、それぞれの興味に応じて、他人の行かないルートの溯行に血道をあげたり、溯行後の温泉につかることなどに楽しみを見つけ出したり、あるいは沢登り自体を充実させようと長時間行動を心がけたりしてる方もいるようだ。

翻って自分は何が楽しみなのだろう、と考えてみたりする。18歳から登山を本格的に始めて、以来20年余、こんな私でも心に美しく残る山行はいくつかある。ただただ楽しかった山行は印象に薄いようで、それらは、情けないことにいずれも苦労し、苦労した上でやっと登った山行ばかりである。苦労することが楽しみなんてことは私の性分には合わないが、今後も心に残る山行を少しでも多く残せるよう、自分なりの楽しみを吟味し、それを山岳会わらじの仲間の斜陽の中でどうすり合わせられるか、考えていきたいと思う。

 

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