ついに山行賞
矢本和彦
年報29わらじ 巻頭言より
2005年度、わらじ8年目にして、ついに山行ポイントで1位に輝いた。1位を目指して頑張ったわけではないが、例年どおりの山行を繰り返したところ、たまたま周囲との関係でそうなってしまったのだ。別に回数を多く行ったからってどうということもないだろう。それはそれとしても、とりあえず一番というのは嬉しいかも。子供のころから一番なんてとったことがないから。
この巻頭言は山行賞記念としてではなく、順番が巡ってきただけだ。この機会に、私が今まで温めてきた夢とロマンについて語ってみようかと思ったが、紙面の都合上無理であった。
そこで月並みだが、なぜ人は山に登るんだろうか。なぜ、命を落としかねないような危ないことをし続けるのだろう。周囲から危ないとさんざんいわれて、分かっていてもなかなかやめられない。何故だろう。
純粋に自然回帰、山は素晴らしいから、大自然の懐で癒されたい、好奇心、達成感、自己実現、単に人が嫌い、山岳信仰…。いろいろなんだろう。
私の場合、自分の中に積極的な理由を見出すことができず、常に他にもっと楽しいことはないだろうかと思い続けているが、それが見つからずに山を続けているような状況だ。何か熱中できることがあればいいんじゃないの、というところもある。
そうこうしながら山と向き合い約20年が過ぎた。山に通う生活の中で、気心の合う多くの仲間も得た。何よりも大切なものだ。また、落石や滑落、思い返すと危ない瞬間というのも幾度かあった。無茶と無理を重ね、無謀なことをしてきたのかもしれないけれど、幸いにして今日まで無事だ。
私は、それまで細々と山を続けていたが、30歳を過ぎて、それでもまだ満足がいかず、飯豊や越後や下田・川内の沢に足を踏み入れたいという思いでわらじの門を叩いた。伝統ある山岳会で技術を学び、未知の山域へと足を踏み入れることができた。お陰で、多くの経験を積み、一皮剥けたといえる自信はないが、自分自身の中に大きな世界を作ることができたと思う。わらじの中で、私は自分自身が一定の満足を得ることのできるレベルまで山に登ったと思っている。
最近、仕事に時間をとられて山に行けないが、今まで沢山遊んだことを思って我慢している。いよいよ厄払いに行くような年齢になった。元々、体力がない上に、更なる体力低下は避けられない状況だが、ひそかにジョギングをして抵抗している。そして、あと10年くらいは現役でいたいなぁと思っている次第だ。
やっぱり山が一番だと思うのだ。
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