わらじの仲間の将来は……
遠藤 徹

年報30わらじ 巻頭言より

山岳会とは面白いところである。
なんでも人間の欲求と言うのは五段階に分類されているらしい、基本となる欲求は「生理」だそうである。食べたい、眠りたい、排泄したい。などである。次に「安全」が来る。危険から身を守りたい、恐怖から遠ざかりたい。なるほど良く判る気がする。そして三番目に「社会」の欲求というのが来る。これは、仲間が欲しい、一人では何もできない、成果を仲間と分かち合いたい、という欲求で「群れ」「家族」「会社」などに起因するものだろう。この法則からすると山岳会とはかくも単純な欲求に従って出来上がっていくものだと理解ができる。
「山が好きだ」という共通項だけでどこの馬の骨とも知らない輩と出会い、群れる。気が合えばその後一生つき合っていく。しかも時として、互いに命を託しあいながら登る山もある。それなのに月曜から金曜まで何をどこでいかなる仕事で生計を立てているのか、お互いに深くは踏み込まない。山で話題が途切れた時にでも「ところで○○さんは仕事、何やってんの?」ってな調子で聞いてはみるものの、偶然に同じ業種、業界にでもいない限り、ある程度以上は立ち入らない。聞いても仕方ない。だから民間も公務員も管理職もフリーターも関係ない。あるのは休みが多く、自由な休暇取得の職場風土に対する羨望と嫉妬だけである。
そんな山岳会の組織にあって「わらじの仲間」とはまたなんと偏狭な集団であろうことか。この集団では八ケ岳の主脈縦走も北アルプスの表銀座もまるで興味の対象ではない。怪しげな二万五千分の一の図名からは容易く判断できないような、辺境の稜線や渓谷を追うのだから。
「この等高線の詰まり具合と、標高から伺えるブナの斜面はスキーにおあつらえ向きだぜ」とかなんとか話しているようすは世間の一般人からすれば、そりゃ「変わった人たち」となる。この集団が、同じ趣味、指向で集まるところまでは前出の人間としての欲求なのかも知れないが、これが半世紀にもわたり「わらじの仲間」として継続されて来たのだから、これはもう欲求だとか、本能だとか単純な言い回しではすまされない。そこには無償の努力に裏付けされた地道な活動の蓄積があり、先輩から譲り受けた全てを後輩へ繋げる責務があり、組織を先導する指導者と目標があった。平成19年、わらじの仲間は創立50周年を迎えました。
今、友好山岳会をはじめ各方面から「絶賛」「祝福」「驚嘆」の声を頂き会員共々恐縮する次第です。これも長年にわたり周囲の方々が温かく見守ってきてくださったお陰であり、歴代の代表、チーフに代わり感謝申し上げたい。
いまから50年前の昭和32年秋、野口冬人、関根幸次らの呼びかけで集まった「変った人たち」はその手法、指向、伝承を半世紀にわたり脈々と受け継いできたのである。ひところの登山ブームは過ぎ去り、世代交代がままならないうちに解体、分散されていく多くの社会人山岳会にあって、わらじの仲間は生き残った。いや、わらじの仲間は生き残るべくして生き残った、と言うべきであろう。前述した稀有な指向性はいつの時代も会員の自立性を育み、促してきた。山の本来の愉しみは「計画性」にあるものだと思う。自分で計画を立てる山が一番面白い。熊倉がいつかこう綴っていた。「いくつもの山行のうち、他人の計画に乗じて参加した山はとんと記憶がない」。
50年の間にはいくつもの趨勢があっただろう、いまのわらじが斜陽と言われて久しい。慢性的な高齢化と新人不足には歯止めがかからない。でも私は存外心配していないのである。自分でわくわくするような計画を立てて山に向かう会員がいて、そんな先輩に刺激される後輩が一人でもいれば、わらじの仲間の将来は安泰であると思う。なぜならば人間の欲求で高位なものに「自我」の欲求があり、最高位には「自己実現」の欲求があるからだ。 2008年3月

 

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