大朝日岳遭難事故報告書より一部を修正して再掲載
はじめに

わらじの仲間代表 宮内幸男

年報31わらじ 巻頭言より

さる2008年12月、朝日連峰の大朝日岳で滑落して会員の矢本和彦が帰らぬ人となりました。折からの偏西風に煽られての事故でした。大朝日岳の避難小屋までは至近の距離でした。ただただ無念でなりません。
現地に雪洞を構築して辛い一夜を過ごし、翌朝悪天をついてガンガラ沢を下降した仲間が発見したのは、すでに冷たくなった矢本の姿でした。期待されたヘリコプターによる搬送は収まることのない風雪ゆえとても叶うものではなく、仲間は彼を置いて断腸の思いで下山の途に着きました。
急を聞いて麓の集落に集結した私たちは、一刻も早く町に下ろそうと願いました。しかし風雪はその後も収まることなく、寡雪だった年末の山を一変させてしまいました。一刻も早く家族のもとに彼を帰すという切なる願いを私たちは断念するほかありませんでした。
積雪量が増すばかりの山々を手をこまねいて見ているだけの1月、2月は本当に苦しい時期でした。対策委員会を立ち上げ、家族にそして矢本を知る友人知人にお会いしました。どうしたら確実に矢本を連れ帰ることができるか、その方法を模索し検討する期間でもありました。やれそうなことは何でもしてみる覚悟でした。
実際の捜索活動を開始できたのはようやく3月になってからのことでした。会員をやりくりしての総動員体制が続きました。活動が長びく中で焦りや疑念が生じることもありました。もう矢本には会えないのではないかという不安との戦いでもありました。8ヵ月後の8月30日、ついに矢本に再会することが叶いました。元気に登っていた当日と何ひとつ変わらぬ姿でした。
捜索は当初の見通しをはるかに越えて長期に及んでしまいました。ご家族にとってはあまりに長く辛い日々であったことでしょう。この場を借りてお詫びいたします。この捜索期間中、雪渓の崩落、落石や滑落の危険が常にありましたが、ひとつの事故も怪我もなく終了することができました。矢本が私たちの活動を見守ってくれたものと信じます。
私たちはこれまで幾人もの仲間達を山で失ってきています。その度に深刻な反省をし出来うる対策を講じてきたはずです。しかしまた再び、大切な仲間を失ってしまいました。相次いで失われた山の仲間の存在の重さ、背負いきれない責任の大きさを今さらながらに痛感しています。
この度の事故が、私たちわらじの仲間という山岳会がこれまで追求し実現しようとしてきた山行そのものに原因の一端が内在するのではないかと思う時、きちんとした再発防止策の実行が急務です。こんな悲しみをもう二度と繰り返してはなりません。
忌憚のない批判をお待ちします。

最後に、ご家族をはじめ、地元の関係者、友人知人、友好山岳会の皆様をはじめ、多くの方々から多大のご支援・御協力を頂きましたことに、あらためて御礼を申し上げます。

 

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