インドネシア・ロンボク島・リンジャニ山
2005年4月19日〜21日
L.渕上麻衣子 他2名(現地ガイド、ポーター)
記録=渕上麻衣子

(リンジャニ山について)
インドネシアのバリ島の東隣に位置するロンボク島にある活火山の山(標高3726m)。最近では1993年と2004年に小規模な噴火があった(ガイド談)。

バリ島に滞在して10日ほど過ぎると、気持ちにもだいぶ余裕が出てきてせっかくここまで来たのだから山に登ろうという気持ちが芽生えてきた。バリ島にもバリ・ヒンドゥー教の聖なる山「アグン山(標高3142m)」があるが、4月はアグン山の麓にあるブサキ寺院で宗教儀礼が多くその際には登山はできないという話を聞いたので、こちらは諦め岳人2003年8月号に載っていた隣島ロンボク島にあるリンジャニ山に挑戦してみることにした。ロンボク島へはバリ島から飛行機も出ているが、時間もあることだし船旅を選択。わたしが滞在していた内陸部のウブドから島の南東部パダンバイという町の港までバスで1時間、そこから船で5時間の旅で料金は日本円で1500円弱。日本を飛び立ってバリ島には夜到着し、翌日すぐに内陸の町に移動したので、島に滞在しているというのに、この日初めて海と対面した。海に来ると妙に気持ちが興奮してくる。開放的で気持ちよくて360度の青空とじりじり照り付ける大きな太陽に叫びたい気分だ。この船旅はとても素敵だった。雄大な景色はもちろんのこと、飛び跳ねるイルカの群れにも出会うし、バリ人とロンボク人の船員は(自称トミナガさんとアラナガさん)優しくて陽気で、楽しい時間を過ごせた。夕焼けに浮かび上がるアグン山のシルエットは幻想的な光景だった。その姿はまるで海上に富士山が浮いているよう。
翌朝、宿のスタッフに「リンジャニ山に登りたいけど、良いツアーオフィス知ってる?」と下手な英語でたずねると「オッケー、オッケー、ちょっと待ってて」と言い残してバイクでどこかに行ってしまい、言われたとおりに部屋で待つこと約10分。ノックの音にドアを開けるとツアーオフィスのボスらしきおじさんが笑顔で立っていた。とりあえずわたしも笑顔で挨拶。(1)明日6時出発。ガイドが宿に迎えに行く (2)3日の行程で頂上まで登る (3)荷物は全て用意するので、軽い荷物でOKなどを取り決め、というよりこの重要ポイント以外の会話はよく聞き取れず適当に聞き流したんだけどね。そして料金を支払いあっという間に計画ができあがった。お金は前払いしちゃったし、あまりの適当さに自分でもちょっと怖い。

4月19日
朝6時、ガイドのブルハン君がバイクで迎えにきた。彼の友達の店で朝食(ごはん、野菜のスパイス煮みたいなもの、ビーフジャーキーのから揚げかと思うような超硬い肉)を済ませ出発。登山口の村まで2時間、まさかとは思ったがなんとバイク二人乗りで行くのだ。車で行くと思っていたので予想外のことにびっくり。とにかくインドネシアの人はバイクの運転が荒く、交通ルールなんてないも同然、無謀な追い越しは日常茶飯事で牛、犬、鶏、人が横切る農道を、ピーピーピーピーうるさいくらいにクラクション鳴らしながら最高で80kmのスピードで走ってしまうのだ。海岸沿いの道や田園風景のなかを風切って走るのは最初は爽快だったが、到着する頃にはへとへとに疲れてしまった。
スナル村のトレッキングセンターでボスに挨拶をして、ポーターのペンリさんと合流し荷物を分けて出発する。2泊3日の山行でわたしの荷物はヤッケとフリースとヘッドランプなどが入ったデイパックのみ、ガイドもデイパックのみ、それに引き換えポーターは竹を天秤棒にしてその両端に荷物をくくりつけ多分30kg近くありそうな重さのものを絶妙なバランスで担いでいる。しかも足元はビーチサンダル。畑や人家の脇を通り過ぎ、鬱蒼とした樹林帯を大汗かきながら登るが蒸し暑いという感じはなく、ひたすらだらだらと汗が流れ、体の不純物が全部流れでるかのような感覚が爽快。時折吹く風が火照った体に心地よく感じる。森の様子はぱっと見たところ、そんなに日本の森と変わらない様子だが、樹高がとにかく高いのと、所々に現れるパンダナスという、木の幹から根がたこの足のように何本も伸びている木の存在が目に付く違いか。マホニという名の木はブナの樹肌によく似ている。わらびや山葡萄もあり驚いた。ブルハン君に日本ではこれを調理して食べるよと言うと、ここでも食べると言っていた。ちょうどよい頃合のわらびがあり折ってみようと試みたが硬くて折れなかった。
樹林帯を抜けだらだらと登り、1950mのキャンプ指定地が今日の幕場。ブルハン君はわたしよりも若く、荷物だって軽い。なのに呆れるほどに軟弱な男だった。幕場に着きペンリさんに付いて沢に水を汲みに行くが、日当たりがよく乾季で雨も降っていないため、当然水が涸れていて、水溜りの水を汲んで帰る。食事は拷問のようにたくさん作ってくれるので、「もうお腹いっぱい、充分だからあなたたちもどうぞ」と拙い英語で言っても遠慮しているとしか思ってくれず、「大丈夫、大丈夫食べて!」とニコっと笑顔で返されてしまい、ため息をつきながら無理やり腹に押し込むということが3日間続いた。ご飯を食べ終えると、あとはゆったりとした時間を存分に楽しむ。深い静寂のなかで満天の星空を見上げ至福の時をじっくりと味わった。考えてみれば冬合宿の飯豊以来久々に山で過ごす夜だった。遠い異国の地で、山はいいなあとしみじみ実感してしまった。南国に来たのだから南十字星を確認しようと「サザンクロスはどれ?」一生懸命言ってみたがどうしても通じなかった。違う呼び方なのかな、そんなに発音が悪かったのかな。

4月20日
夜はものすごく寒かった。しかも、テントはゲスト用ということで二人はテントの外で寝てしまったのだ。入ってほしかったが上手く意思の疎通が出来ずひとりでテントの中で寝ることに。それでも寒くてあまり眠れないのだから外の二人は更に眠れるはずなく起きていたので、夜中に入ってもらった。ペンリさんはシュラフもなかった。
日が昇るとあっという間に強い日差しが戻ってきて、夜の寒さがうそのような暑さだ。急斜面を登り始めて後ろを振り返ると、昨日の午後は霧がかかってなにも見えなかったが、登ってきた尾根、樹林帯、海までが全部見渡せ、ここが小さな島に浮かぶ大きな山だということを実感することができる。尾根を登り終え稜線の反対側を見下ろすと、火山で生まれた湖(Segara Anak Lake)の神秘の蒼が眼下に広がっていた。2050mの高さにこれだけ広大な湖を抱えていて、その上この湖は釣りのメッカで地元の人たちに恵みを与えている。湖には、噴火によって生まれたGunung Baru(新しい山)という富士山の小型版みたいな山が浮かんでいる。湖畔へ降りてみると、大きな鯉が釣れるということで大勢の人たちが釣りを楽しんでいた。わたしたちも湖畔のキャンプ場でランチタイム。ジャワ島から来た若者グループがいて、コーヒーや釣りたての鯉の塩焼きをご馳走になり、一緒に写真を撮ったりと盛り上がった後、なぜか彼らに国歌を歌って欲しいとせがまれ、ビデオカメラの前で「君が代」を歌うはめになってしまった。この湖のそばの沢には温泉も沸いていて、地元の人たちは気持ちよさそうにマンディ(沐浴)している。わたしも入りたいところだが、水着も持ってないし足湯で我慢をした。パンツ1枚で温泉に浸かるブルハン君はとても気持ちよさそうだ。キャンプ場に帰ると、さっきの若者たちから購入した魚をから揚げにしてランチが出来上がっていた。長い休憩を終え(4時間近く湖畔にいた。本当にのんびりなのだ)、2900mのキャンプ地を目指してやっと出発する。ところどころ急な岩場が出てくるが、天秤棒&ビーサンのペンリさんは絶妙なバランスで越えていき、ガイドのブルハン君は10歩登っては息切れで立ち止まるという状態。まだ28歳の若さでこんなに体力なくて、今後彼の仕事は果たして成り立つのか?キャンプ地には既にドイツ人パーティとオーストラリア人&チェコ人パーティ、アイルランド人という様々な国の人たちがいて賑やかだった。夕暮れの空は息を呑む美しさ。きょうは人がたくさんいるので昨夜ほどの静寂ではないが、様々な国の人たちと夕焼けを眺めるという経験もいいものだ。慣れない英語に疲れると、ガイド&ポーター達が囲む焚火の輪に混ざり、ロンボクの言語ササッ語をBGMに焚火はいいなあと日本の沢を懐かしく思っていた。

4月21日
頂上で日の出を拝むため2時に起床。甘いコピ(現地の粉コーヒーのこと)で体を温めたあと2時45分にペンリさんとともに出発。歩きながら、今までのわたしの登山を振り返ってみると、日の出に合わせて頂上に登ったことなんてなかったということに気が付く。頂上から伸びる稜線のコルまで登ると、ドイツ人パーティのポーターが休んでいるのでわたし達も休憩。二人がササッ語で楽しそうに話しているのを見るとこっちまで楽しくなる。「slowlyは日本語でなに?」と質問され、「ゆっくり」と教えると、「ゆっくりゆっくりさんぽさんぽ」と嬉しそうに言っていた。あまりの寒さに途中で焚火をして暖をとる。暗闇に浮かぶ焚火の炎をぼんやり眺めていると次第に心が落ち着いてくるから不思議だ。これに沢音とブナの森がセットになればもう言うことない。いつまでも焚火にあたっていたいが、そうもいかないので最後の急斜面に取り付く。火山礫で不安定な足元は一歩踏み出すごとにぐずぐずと崩れて歩きにくい。格闘しながら歩を進めていると次第に暗闇だった東の空に赤みがさしてきた。刻々と変化する様子はあまりに美しくて足を止めてしまうが、日の出に間に合わなかったらせっかくの早起きが水の泡。まだ先に見える頂上を目指して一歩一歩高度を上げていく。やっと斜面が終わると、既に到着していたパーティに迎えられ登頂。狭く切り立ったリンジャニ山頂上で「テリマ・カシ!(ありがとう)」ペンリさんと固い握手を交わして、遠く東の空を見つめる。目の前で静かに広がる荘厳な光景を前に言葉を発することができない。夜が明けるとはこんなにも美しくこんなにも神秘的なものなんだね。それからいろんな思いが交錯して目頭が熱くなった。誰もいなかったら大泣きしていたかもしれない。水平線から太陽が完全に顔をだし、空の動きも落ち着いてきたので周りをあらためて見渡すと、西側にはブロッケン現象でリンジャニ山の影が湖の外輪山上に映り、その隣には遠くバリ島のアグン山が並んで見えて、これも絶景。すごいよ、リンジャニ山。
まだこの時間に居たかったが、ペンリさんに促され下降を開始する。頂上からの下りは飛ぶようにかけって降りた。最初、急斜面とぐずぐずの足元にびくびくして降りていると、ペンリさんがランニングだよと言ってこつを教えてくれた。そっか、雪の斜面を降りる感覚でいいのか。その後は快調に飛ばしあっという間にキャンプに到着した。待っていたガイドや他パーティのポーターに、この感動を興奮状態で伝えた。ペンリさんは早速朝食のバナナパンケーキを焼いてくれた。心も腹も満たされ言うことない。それから、もう1枚のパンケーキを焼きながら、キュートな笑顔で「マイコっ!エナッ(おいしい)?」と聞いてきたので、わたしも負けずに満面の笑みで「エナッ(おいしい)!」と答える。こんなこと聞いてきたのは初めてだ。同じ感動を共有したことで、心の交流ができたように思う。
名残惜しいが、多大なる満足感と少々の疲れとともにスンバルンラワン村へ向けて下山開始。下降路は緑の大地と海が見渡せる開放的で歩きやすい道。最後は、風が吹き抜ける広大な草原を「ゆっくりゆっくりさんぽさんぽ」を呪文のように唱えのんびりと歩き、この草原はいつまで続くのだろうと思っていると、森を通り抜け、畑になり、田んぼになり水路でマンディ(沐浴)しているお母さんを横目に畦道をてくてく歩くと村に到着した。降りた途端に、村人の視線を痛いほど受け、山は良かったなあと3日間を振り返り、どっと疲れが押し寄せてきた。そして疲れたあとに待っているのは往路と同じくバイクの後ろに2時間の苦行。帰ってきたスンギギの街もホテルも落ち着かないので、翌日にはまるでホームシックのようにバリ島のウブドにあるお気に入りのホームステイに帰ってしまった。船には往路と同じくトミナガさんとアラナガさんがいてほっとした。ウブドに帰ると宿のオーナーのジャティさん、お母さん、スタッフのプトゥ、長期滞在のオランダ人のマリア、みんなが温かく迎えてくれて、残りの日々をまたのんびりとここで過ごすことにした。
思い切ってリンジャニ山に登って素晴らしい経験ができた。優しい人たちに出会い、初めての風景を堪能し、そしてたくさんのパワーをもらってきた。何よりも頂上で見た空の色が忘れられない。

〈コースタイム〉
4月19日
スナルトレッキングセンター9:00−POSU(休憩所)12:30−Camp3(1950m)17:20
4月20日
出発7:00−Plawangan1 Crater Rim(2650m湖が見下ろせる稜線)7:30−Lake Camp Area10:00〜14:00−Plawangan2 Crater Rim(2900m)17:00
4月21日
出発2:45−頂上6:00〜6:30−Plawangan2 Crater Rim(2900m)7:30〜9:30−スンバルンラワン村13:20

 

 


リンジャニ山をバックにSegara Anak Lake
右の小さな富士山型の山は Gunung Baru
わたしも左にいるけどわかりにくい?

 

 


湖畔の草原を行くポーターのペンリさん

 

 


Segara Anak Lakeのキャンプ場で
わたしはこの人たちの前で
なぜか国家を歌ってしまった

 

 


パンツ1枚で温泉に浸かるブルハン君

 

 


リンジャニ山頂上から見る日の出

 

 


リンジャニ山からは、どこまでも続く
草原を スンバルンラワン村へ下る