十月の三連休とは
東北・虎毛山塊 三滝沢〜赤湯又沢温泉
2006年10月16日〜17日
遠藤徹、矢野雅之、三好恭子、宮内夫妻
記録=遠藤徹

サラリーマン沢屋にとって、体育の日を絡めた10月の三連休はとても大切である。時節柄、秋の行楽シーズン真っ只中でもあり、場所によっては錦秋の紅葉を愛でながら至福の温泉を愉しむ事が出来る。ところが年によっては連休が連休でなくなる場合がある。とりわけ土日と火曜なんて組み合わせになると悩ましいことこの上ない。月曜日に有給休暇を取る。一日休みを取って4連休にする。これは民間サラリーマンにとって永遠の課題であり、唯一手の届きそうな夢でもある。勿論一口に民間の、と言っても様々な事情があるだろう。規約に基づいてきっちり事前に申請をすれば問題のない企業もあるだろう。ところが私みたいな理屈の通らない会社に勤める者も少なくない。これはいくら話しても公務員には理解できないであろう。幸いなことに今年のカレンダーは土、日、月が連休となっている。直前になって仕事上のトラブルが無い限り、誰はばかることなく三日間休んで山へ行ける。これはとても幸せなことだ。
例によって宮内さんから声が掛かる。「ねぇ どうすんの?」
昨年の同時期、宮内、矢本夫妻混成パーティで練り上げたルートが頭をよぎる。丁度一年前のリベンジだ。それはツブレの三滝沢を詰めて赤湯又の野湯に浸かり、翌日さらに下降して虎毛沢を詰める。というプランだった。そのときは初日に雨にたたられ、中山平の湯治宿で酒宴を上げ、その翌日、矢本たちと別れた。彼らは三滝沢から虎毛の頂を踏んで、ツブレの本流を下降している。一方、宮内夫妻と私は保呂内沢から山猫森に遊んだ。
計画としては去年の敗退ルートを踏襲する以外に @春川のダイレクトクーロワール A大幽西の沢から丸山岳 が考えられたが、ダイレクトは千衣子さん『奥方』がロープワークに不慣れと持ち越しになり。丸山岳に行くと言っていた岩永に声を掛ければ「一緒に遊んでくれる人達が見つかったからいい」と逆に断られた。一緒に遊んでくれる奴らって誰よ?どうせ『熊ちん、会津の若大将、訳有りの佐野さん』ぐらいだろう。「実はこっちの報告の方が腹を抱えて笑えるだろう」。
前週、小穂口の頭(村田、坂本追悼山行)から帰途につく宮内さんと三好に電話する。
そこでとんでもない話が持ち上がっていた。なんと2人とも火曜日に有給を付けて4連休にすると言うのだ。宮内さん、また例の癖が始まった。この時期は毎年こうである。三連休だけでも充分幸せな私にとって、休み明けの有給なんて口が裂けても申請できない。この時点で私の腹は決まった。仮病を使って当日出社できないと言い張る以外に手立てはない。さて、4日も使ってどこをどう巡るのか。集会で宮内さんに打診する。私「最終日まで山行くの?」宮内「まっさかぁ」。これはどうゆう意味なのだろう?3日でルートを作り、一日温泉でまったりする。これだといつものパターンである。しかし宮内さんの「まっさかぁ」にはいつもの温泉セットでは飽き足らない何かを求めている節があった。7月の海の日3連休+ズル休み1日に、南八甲田ナメと湿原の旅を終えて下北半島に向かった。向かった先は恐山と下風呂温泉であった。私は直感した。これだ、この時の宿の食事に不満(過剰な期待があった為)が残っていたままだった。「今度は失敗するなよ」の意味が言外に込められていたのだ。私は山のルートを後回しにして、女川の民宿を物色しはじめた。酒も飲めないクセして食べ物だけにはうるさいのだから始末が悪い。さっきまで泳いでいた秋刀魚とアワビの肝と烏賊のワタと山盛りウニと旬の生カキとホヤの刺身がいっぺんに出るところを捜した。「ちなみに私は秋刀魚と牡蠣以外食べられない」
10/6〜7深夜、東北道をひた走り古川を目指す。やっとここから山の報告である。2〜3日前の天気予報では明日(10/7)連休初日だけ曇りで、その後は秋晴れが続くと言っていた。ところがどうしたことだろう。朝から雨である。ステーションビバークでお世話になった川渡温泉の駅舎から出る。出てどうしよう。誰がそうした訳でもなく、車は藤島旅館に横付けされる。とりあえず風呂だ。こうして雨で予定変更が余儀なくされる日の朝風呂のなんと贅沢なことか。風呂から出て相談する。真っ当にツブレ沢の林道まで行って天候の回復を待つか。と言う案も出されたが、隣の東鳴子にいい湯があるので、取り合えずそちらに向かった。馬場温泉、高友旅館、田中旅館、大沼旅館と物色して いさぜん旅館の3種類の内湯に浸かった。う〜む、隣接する高友の黒湯のアブラ臭とは異質のものだ。テレビでは明日まで雨が降ると勝手なことを言っている。どうする?さらに隣の鳴子に移動した。幸か不幸か姥の湯湯治部屋が空いていた。一泊3150円である。幸か不幸かの意味は50歳前後にもなると3150円は得だ。と納得し一同異論が出ない所にある。ここも3種類の内湯が愉しめる。早速、確かめに行く。風呂から上がって部屋でゴロゴロしていると、ふと山屋であつたことを思い出した。幸い、雨も小康状態となってきた。皆をせかし、車に乗り込む。向かったのは荒雄山の中腹にあると言われる「荒湯地獄」なる野湯であった。2万5千図を山にいるときより執拗に眺め、研ぎすまされたルートファインデイング能力を発揮し、誰が細工したのか手製の湯船を見つける。入ると白濁の適温に身も心もほぐれていく。足だけ漬けていた三好から「服脱ぐからあっち向いてて」と言われ、私と宮内さんと矢野さんは反転し小さな野湯のヘリに捕まって、遠くの山並みを眺めていた。
「8湯目」☆やはり山の報告からはほど遠い。
翌朝五時には出ようと就寝したが、「ねぇ、雨が降っているから直ぐには出ないでしょう?」の声で目が覚める。なんと言うことだ。悦楽主体の計画が招いた天罰なのか?朝風呂を堪能し宿を出る。宿を出て鳴子の中心部にある「滝の湯」に向かった。宿からもらった共同湯の無料券を無駄にしてはならない。ここも素晴らしい湯だ。全員で鳴子温泉郷の魅力に深い感銘を受け、ようやく秋田へと向かった。県境の長いトンネルを抜けても雨が降っていた。この距離だから当然である。どこか時間を潰せる場所はないか。と言う話になり、河原毛地獄の湯滝を目指した。秋の宮から一山越えて泥湯に車を止める。宿の食堂で稲庭うどんを食べていたら、若い男女のグループが入ってきた。聞き耳を立てていた訳じゃないのだが 会話が気になる。男の話はこうである。「折角、北東の駒栗山にきたのによぉ 葉紅がねぇな」「神白でプーキャンしたかったよなぁ」「このまま沢米に行って刺し馬でも食うか」などの調子。即ち単語がわざわざ逆なのである。最初は何を話しているのか判らなかったが、一句一句逆さまにしてみると意味がなんとなく判る。これには声を押し殺しながら腹を抱えて笑い合った。しかも不思議なのは逆言葉で話をしている男と相槌を打って聞いている女性が、あたかも日常の会話風なのである。一体どーなってんだ、今の若者たちは?そうこうしているうちに外の雨風が強くなてきた。カッパを着込んで挑む野湯でもあるまいと河原毛の大滝を諦めて奥山旅館の風呂(3湯)に入った。昔の秘湯は今や観光地と化し、連休ともあって多くの人出であった。秋の宮へ戻り、今宵も湯治宿を探す。博物館の女将さんに交渉して泊めてもらえないだろうか?まあ無理だろう。新五郎湯に断られ太郎兵衛(3000円)に投宿する。テレビでは北アルプスの遭難や女川の秋刀魚漁船の転覆事故が報じられていた。これって気象庁のミスだよなぁ。人災だよなぁ。今頃になって冬型だなんて遅すぎるよなぁ。それにしても女川で下山祝などしていたら顰蹙を超えて罵声を浴びることになっていただろう。日程がズレて良かったような、心残りなような。
翌朝、宿の人達に手を振られて山へと向かう。やおら、宿のおやじが1000円札を持ち出し自動販売機の前に立つ。「好きな物飲め」と言って振舞ってくれた。いやぁ素朴で親切な土地柄だなぁ。また来ようっと。
ようやっと山だ。天気もやっと晴れた。湯の又温泉に向かう道路の途中に入渓点となる広場がある。昨年引き返した場所だ。ここまで実に遠いアプローチであった。沢支度をして踏跡を追う。昔の切り出し林道の名残だろうか、しっかりした法面に藪に覆われた踏跡がワルイ沢の出合まで続いていた。ワルイ沢からツブレ沢本流を遡行すると、ほどなく6mほどの滝に出会う。水量が少なかったら右壁から越えられそうだが、我々は右から巻いた。三滝沢までの本流は岩盤が発達してなかなか楽しめる渓相。1対1で左から三滝沢が出合う。奥に登れそうもない滝が掛かっている。右から大きく巻いて滝上に降りてびっくりした。ずっとナメなのである。まるで舗装道路のようなナメが延々と続く。時折、フリクションを駆使するナメ滝が現れるが、ズリ落ちる様を笑い合いながら超えていく。上部では左岸に大スラブが展開しトヨ状の谷に小滝が続く。釜に濡れたくはないので短い足を突っ張りながら超えていく。縦走路に出たのが昼過ぎであった。高松岳の斜面が紅葉していて美しい。反対側の赤湯又沢に降りるのだが、このあたりは急斜面なので1033mのピーク北側から左俣の源頭に分け入った。左俣の下降には思いの外時間がかかった。概ねナメ床と小滝が交互に現れ、下るよりも登ったほうが楽しいと思われるところだ。2時間弱で二俣に着き一同ヘロヘロ。もう少し楽に下れるものと思い込んでいた。二俣から段差の大きい岩棚や小滝を3〜4個やり過ごすと なんだかモワモワと白い煙が立ち込めてきた。ここだ。ここだ。いろんな記録を見たり聞いたりすると「河原の露天風呂」と表記される事が多いのだが、それらしき場所が限定できない。多分、少しの出水でその度流されるのだろう。我々は枝沢の溜まり場を浚渫し、それなりの湯船を完成させた。41度くらいで白濁の酸性泉と観察される100%掛け流しの露天風呂である。男幕場、女幕場、焚き火食堂、脱衣場、浴場と間隔よく配置され、まるで子供の頃に作った冒険秘密基地のようでもあり、ハワイアンセンターのようでもある。流石にちと冷える、焚き火で食事を作る合間にも「俺、ちょっと」と言っては一風呂、二風呂。就寝前はろうそくの炎にムードある一浴。この夜は月が煌々と照らしていた。
翌朝、本来であれば俺は出勤しなくてはならない。しかも携帯電話は圏外なので、出社できない連絡を取る術がない。秋の宮から打った上司へのメールは届いているだろうか?
赤湯又沢の登り返しは右俣を選んだ。左俣より断然早い。渓相もなんにも無いから下りにも向いているだろう。途中、高松岳から入り込む、中流部に源泉を持つ枝沢に遊びに行ってしまった宮内さんたちを さんざん待っていても2時間くらいで詰め上がれた。むしろ全行程中、一番きつかったのは高松岳までの急な一般道であった。始まったばかりの紅葉に包まれた高松岳の山頂からは360°のパノラマが広がっていた。目の前に立派な姿の虎毛山。山頂の小屋が小さく見える。左に目を移していくと、須金岳、竹の子森、山猫森の稜線が春川を隔てて屹立している。さらに大きく栗駒山、その左奥に焼石の連なり。高松岳の小屋がすぐ先に建っており、その左にはまだ雪が残っている鳥海山が美しいコニーデを誇っている。そして新庄神室の山並みが役内川の谷を挟んで起伏している。山はいいなぁ。仕事サボってもいいなぁ。
降りてから秋の宮山荘の近代的でつまらない風呂に入って、東北道に乗った。最後の最後は鏡石のパーキングから歩いて行ける不動温泉が締めくくりであった。(3泊12湯)

10/9 入渓点7時30分〜稜線12時30分〜赤湯俣温泉16時
10/10 赤湯俣温泉8時〜高松岳11時〜入渓点14時

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やっと沢です。ナメの続く三滝沢

 


虎毛の避難小屋が小さく見える

 


仕事サボって来たかいがあった

 




高松岳の山頂