会越国境・越後/丸山スキー場〜未丈ケ岳〜毛猛山〜浅草岳〜中ノ又山〜裏ノ山〜三川分水峰〜矢筈岳〜三峰ガリー〜粟ケ岳
2006年4月29日〜5月6日
熊倉 彰 岩永晶子 岩崎正樹 佐野 豊(無所属)
記録=岩永(4/29〜5/2)、熊倉(5/3〜6)

4月29日(快晴) 丸山スキー場〜未丈ケ岳〜二重稜線〜1352m赤柴山を越えた平地
小出駅から4人を乗せたタクシーは、シルバーラインを抜けて、春の光が乱反射する丸山スキー場にすべりこむ。いつになく会話を弾ませながらのパッキング。みんな少し興奮している。のどかなリフトを乗り継いで丸山山頂へ。奥只見湖を見下ろす展望台。
丘陵をポクポク越え、急登にひと汗かいて稜線へ上がる。雪はたっぷり。スキーのトレースも1つある。
憧れの未丈ケ岳は目の前にそびえつつ、なかなか辿りつけない思わせぶりな山だった。このピークを越えたら山頂かな、次こそ…、の繰り返しでえらく疲れた。それでも展望は素晴らしく、青空を取り囲むように馴染みの山々が連なる。
双耳峰の燧岳がでかい。あの台形は平ケ岳、荒沢岳は荒々しく、越後駒ケ岳はひときわ白く輝く。東に転じれば、会津駒ケ岳から三岩岳の稜線。高幽山、梵天岳、丸山岳が近い。村杉半島に続き、その先に風格を漂わせて浅草岳がある。「ずいぶん遠いなぁ」と佐野さんがポツリ。

熊倉さんとGWの話をしたのは、正月合宿前の電話だったか。
岩永「岩崎がね、GWに窓明から丸山岳へ縦走したいっていうんだけど、どう?」
熊倉「おれは、未丈から毛猛、浅草から粟へつなげてぇ…」
岩永「えっ毛猛! 丸山スキー場から入って浅草へ抜けるのね。いいね、それ」
熊倉さんの会話は語尾が小さい。特に電話はそう。私は未丈から毛猛に心奪われて、粟ケ岳を聞き流していた。年が明けて、あらためて地図を見て驚く。その恐ろしい藪こぎルートは2万5千図8枚にまたがっていた。しまった…。
案の定、集会では藪敗退だぞと笑われ、徹さんには走破できたら100万円やるとまでいわれる。岩崎とふたり、計画を縮小させようと2月の城郭朝日岳で熊倉さんを説得するが、逆にこの人の情熱に説き伏せられた。腹を決めるしかない。岩崎がいつのまにか私の憧れの人である佐野さんを口説きいれ、生涯忘れられない8日間を共にする仲間がそろった。

私は1日目の幕場を、大鳥池への支尾根を分けた二重稜線に決めていた。佐野さんも同じことを考えていたようで、風雪が作り上げた不思議な空間に立ち止まって、お互い目配せた。時計は15時を指している。初日の行程は十分にクリアしていた。
あれっ、熊倉さんがあんなに小さく…、赤柴山1352mの急登に取り付いてない? 泊まらないの? 慌てて追いかけて雪壁を登り、最後は急な藪に半ベソをかかされ、16時30分、やっと小さな平らをみつけた。情熱の男はどうやら本気で粟ケ岳へぬけるらしい。

4月30日(晴) 泊り場〜大鳥岳〜毛猛山〜1176mピークを越えた平地
ジリジリ太陽が照りつける。大鳥岳を越えても、毛猛山まで雪がつながっていた幸運に感謝するが、この暑さには参った。先頭で軽快にステップを刻む岩崎がまぶしい。毎週末、標高差1000mを目標にボッカしていた賜物だろう。私にはこの雪稜が灼熱の砂漠に見える。唯一のオアシスは大熊沢中ノ沢源頭で、ここに泊まったら素敵だろうな。佐野さんが作ってくれたフルーチェにも励まされた。毛猛山の眺めも美しい。
毛猛山は私とって青春の山だ。2000年、初めての秋の集中。私は大熊沢一ノ沢をつめ、熊倉さんは毛猛沢をつめた。猛烈な藪をかきわけて越えた毛猛山の山頂に、季節を変えて立つことの喜びがじんわりと全身を包んだ。熊倉さんは何を感じているのだろう。
私はこの人に連れられて、ずいぶんいろんな経験をした。辛いことも、美しいことも両手からこぼれるほど。渕上や右高、やもっちあたりもそうかな。今回のルートは熊倉さんとの山行を1本の糸でつなぎ合わせるようだ。密藪のワンダーランド「毛猛」、ブナの楽園が広がる「浅草〜中ノ又」、スラブに阻まれた「下田」、それぞれに癖があって素敵な山域。
「毛猛山からの降り口に苦労した」と太田山岳会の深谷明さんの記録にあったので緊張していたが、視界良好で大丈夫だった。2005年3月1日〜30日、奈良俣ダムから白山まで単独縦走している深谷さんってどんな人だろう。すご過ぎる。
前沢源頭辺りから尾根がやせて藪と岩峰が露出する。尾根上にかすかな踏み跡があるが、切れ切れの雪を拾ってつなげていく。私にはけっこうデンジャラスで神経を使った。1176mピークを越えてテントを張ると、雨が降り始めた。

5月1日(雨) 泊り場〜前毛猛山〜六十里越〜鬼ケ面山
小雨に濡れた藪をこいでいるうちにグッショリ濡れる。気温も上がらず、雪が硬い。ステップが切れずにビビっていると、何度か佐野さんが助けに来てくれた。前毛猛山へは田子倉湖側から巻いたが、急なトラバースに緊張した。
六十里越から毛猛山は、佐野さんにとって大学1年生の夏に藪こぎした青春ルート。これから向かう浅草岳から下田への山域は未知のエリア。「過去を振り返り、未来を予感する山行になりそうだよ」と、どこかの藪ピークで話してくれた。
どんよりした田子倉湖を眺め、踏み跡のある藪尾根を六十里越へ下る。トンネルの上には雪がしっかりついていた。フ〜、毛猛山域をクリア! 浅草岳へ、雪のついた夏道沿いに登る。電波塔のまわりで、岩崎と熊倉さんがフキノトウをゲット。
この日は、ここからが過酷だった。標高を上げるごとに風雨が厳しく叩きつけ、視界がなく、厳冬期の緊張感だ。南岳を越えると東側の発達した雪庇とシュルンドも嫌らしく、山頂を越える予定を諦め、15時20分に鬼ケ面山山頂の西脇にテントを張った。
今回、8日間の食当すべてを熊倉さんが計画&下ごしらえした。乾燥野菜なんてナシ! 汁物やカレー、パスタなどの具材は、自家製レトルトパックされて芳醇な味わい。外は嵐だけど、テントのなかはいい香り。
心配ごとといえば、恵子さんと和子さんが沼ノ平から、麻衣ちゃんが単独で八十里から入っている予定なので、交信がとれずちょっぴり不安。
岩崎は浅草岳山頂にデポした2.5リットルのウィスキーを明日、絶対回収するのだといって、持参した酒を飲み干して酔っ払っていた。のんきな奴だ。

5月2日(雨) 泊り場〜浅草岳〜早坂尾根〜八十里越
風雨強いが、停滞しても解決しないので出発。毎朝4時の天気予報を聞こうとラジオの準備をしていると、加藤登紀子の「檸檬」という歌が流れてくる。ラジオ深夜便という番組の曲らしい。不安に押しつぶされそうな朝の空気を優しく包んでくれるメロディーに、どんなに癒されたことか。この山行のテーマソングとなった。
前岳から慎重に東進して、今回のルート最高地点の浅草岳山頂1586mへ。凍える寒さなのに、岩崎がデポしたウィスキーが見つからず、5分、10分と経過する。やばいよ、まじで凍っちゃう。諦めて出発しようとすると「あった!」の雄叫び。岩崎の執念を見ました。
一気に高揚して、唯一の完璧なエスケープルートを尻目に、広大な早坂尾根を駆け下る。視界30mくらい。大三本沢の左岸にでるよう注意深く下って、八十里越へ向かう細い尾根にのる。完璧。ここからは、泣きたいほど素敵なブナの森へ続く。私はブナの森が好きだけど、とくに怖くて辛い行程を越えてきた後に出会うブナは優しさが身にしみて感極まる。上手く伝えられない興奮を抱えて、熊倉さんを振り返ると黙ってうなずいてくれる。隣を歩く佐野さんに「滑りたい」ってつぶやくと、大きくうなずいてくれる。共感してくれる人がいるって幸せだ。
ここから八十里越までは地図で見てもわくわくするような複雑な地形。しかも視界がないので読図が楽しい。そぼふる雨も幻想的。私はめっちゃ満喫してたけど、みんなは低体温症になるかと思うほど辛かったって。たしかに。
遅沢の右岸尾根が合流する地点で、はるか霧の奥に赤布がチラリ。駆け寄ると「まいこ」の文字。私は慌てて早坂尾根に向かって名前を叫んだ。佐野さんが冷静に「足跡が続いてないよ」。あっ。付近をぐるぐる歩きまわっている足跡。独りでこんな所まで来て、独りで帰ったんだね。会えなくて残念だったけど、うれしかったよ。熊倉さんがそっと麻衣子の赤布をポケットにしまった。あのガスった広い尾根で赤布が一瞬見えたんだ。奇跡的かもね。同期の絆かな。
精魂尽きて転がるように辿り着いた八十里越の峠は、冷たい風から開放された静かな峠。「今日は焚き火ができるかな」と佐野さんが静かにいう。しばらく間があり、熊倉さんがもう少し進みたいという。う〜ん。みんな濡れねずみでガタガタ震えてる。峠の西側に風のない窪地がある。「今日は終了!休息日」と独断で決めた。テントを張って、ひさしぶりに寛ぐ。佐野さんがプラブーツを脱ぐと、溜まっていた水がジャーとこぼれ、苦笑い。ほんとにみんなよく濡れた。「沢登りだと思えば、苦にならないよ」と笑えない冗談。

5月3日(くもりのち晴) 泊り場〜五兵衛小屋跡〜中ノ又山〜772m手前最低コル
静かに夜が明けた。重く霧がたちこめている中出発する。天候はゆっくりとだが必ず回復するようだ。
木ノ根山へ200mほど登りつめるとゆったりとした尾根歩きになる。美しいブナロードだった。田代平の真っ白な雪原が眼下に大きく、木ノ根沢源流部をはさんだ対岸の山の斜面が次第に切れ行く霧の中、幻想的に太古の森を思わせる。顔を出しそうで出てこない陽の光に、霧の流れに、鈍く光り表情を変え続ける森。田代山1135mから角度を変え、木ノ根沢源頭部・鳥越へ下る。木ノ根沢源流のブナ森が広がる心安らぐところだ。
丸倉山1191mへ登るにつれ、次第に霧が晴れてくる。叶津川にそって歩き始める頃には、汗ばむ陽気となった。それにしてもなんて雪の多い春だ。何年もこのあたりをゴールデンウィークに歩いてきたが、こんなに雪の多い年は初めてだ。
岩永がわらじに入会して初めて行った沢、飛倉沢。「ここを乗っ越したんだよ」と岩永が懐かしそうだ。真っ白なフキ平、ゆるやかなたるみの新山峠、思い出深い場所を眺めながら、ひたすら雪の尾根を歩き続ける。
ここまでほぼ北に向ってきた進路が、五兵衛小屋跡から西寄りに変わる。光明山からのトレースがひとつある。ところどころ尾根が痩せ、岩尾根がでている。中ノ又山への道はかなり長く感じた。地図をみてもこの午前中でずいぶん距離を稼いだことがわかる。中ノ又山の山頂でロープをはり、2日間の雨に濡れた装備を干した。春の強い日ざしのおかげでシュラフもマットもすべてがきれいに乾き、背中の荷物が軽くなったような気になる。
1時間半の大休止の後、この山行の核心ともいえるヤブに突っ込む。名無沢源頭の1002mピークを回り込む付近から本格的なヤブになった。毛無山へと尾根を分ける手前で、未丈ケ岳以来初めての人に会う。空身で毛無山をピストンし、今日は中ノ又山に泊るという。
915mピークからの下りが雪壁になっていて、直接尾根は下れず、小又川中又沢源頭の低い中間尾根をバックステップで下り、沢を横断する形で最低コルへ急下降する。雪のあるこの付近でしか泊れないだろうからと、尾根から一段下った沢の斜面をカッティングして泊る。源頭の雪の割れ目で水をくむことができた。

5月4日(晴) 泊り場〜裏ノ山〜駒形山北峰〜矢筈岳手前今早出沢源頭コル
泊り場から大川の谷をへだてて矢筈が朝日に赤く染まり始めた。ヤブの一日が好天でありがたい。裏ノ山へは、密度の高いヤブで亀の歩みだった。それでも春のヤブの斜面は、カタクリやオオバキスミレ(?)などが群生し、なかなかに楽しい。裏ノ山山頂にはちょうど一年前の日付の赤布があった。900mばかりのヤブ山だが、濃密な野生にあふれ、興味深い山並を見渡すことができる。
駒形山北峰までは、ほぼヤブだった。それだけに駒形山山頂近くの西ノ沢源頭のブナ林に心ひかれる。
裏ノ山を下り始めてひとりの登山者とすれ違う。昨年の赤布といい密かに裏ノ山へ登る人がいるようだ。でも、こういう山を目指すと必然的に単独行者になるのかもしれない。私のように3人も同行者がいることは、幸運でありがたいことと思わなければいけない、などと思う。
駒形山北峰から三川分水峰までは長かった。最後登り詰めた台地状のピークはとてもいいところで、ひと息つく。矢筈をピストンしてきたらしいパーティが魚止山方面へ下っていった。今日はどこまで進めるかと腰を上げたが、ここからはトレースもあり以前に比べて踏み跡がしっかりしていて、俄然スピードが上がった。3月にはロープをつけ苦労して通過した1049mピークも道を拾い下り、青い岩盤と呼ばれるその先のコルで大きくなった矢筈とガンガラシバナを眺め、今日最後の休憩をとった。
尾根を北に折れてゆるやかに下り、今早出沢源頭に泊る。2度の3月の早出川周遊山行の折り、一度は泊りたいと願っていた場所だ。外で銀マットを敷き、ゆるゆると酒を呑んだ。佐野さんもいたくこの場所が気に入ったようだ。佐野さんのザックからビールが出てきて、ちょっと感動。

5月5日(晴) 泊り場〜矢筈岳〜青里岳〜堂ノ窪山手前
昨日、外で暮れるまで呑んだおかげで岩崎が連れてきた風邪をもらってしまった。せめてもう一枚着ればよかったと後悔する。
岩崎先頭で、下矢筈岳への大斜面を登る。朝の冷たい空気が心地よい。快調なピッチで1時間と少しで矢筈岳山頂に着いた。いつもこのピークは、行くか戻ろか考えさせられるピークだ。7日目の好天の朝に立てたことで縦走の完走が確信に変わった。振り返ると浅草岳ははるかに遠く、その向こうの毛猛山塊は見えているのかいないのか、おぼろにかすんだ向こうにある。
矢筈に敬意を表して4人が揃った一枚きりの写真を撮った。
真っ白な悪岩沢を眺め青里に向う。特に西俣沢源流の大斜面が美しい。西俣沢へ下る熊の足跡を見る。
青里岳へ大きく登り返す。青里の山頂はまだたっぷりと雪を乗せていた。五剣谷岳・銀太郎山への尾根を分け、縦走のゴール、粟ヶ岳へ踏み出す。下り基調の尾根だがアップダウンが多く根の折れるルートだった。
縦走中唯一尾根を外し、901mの手前のピークよりアカシガラ沢源頭に下る。尾根近くにこんなに緩やかな流れがあるなんて、ぽっかり空いた不思議な場所。静かで心落ち着く真っ白な谷の中で休んだ。
アカシガラ沢右俣をつめ、雪を拾って右斜面からうまく雪をつないで986mピーク、三方ガリーに着いた。暑さでクラクラしそうな陽気だった。ここより2ピッチ堂ノ窪山手前の白い台地を目指して進む。風邪のおかげか、今日は午後になってガクンと体にこたえた。へとへとになって堂ノ窪山に近い仙見川日影沢を見下ろす白い雪原に泊る。

5月6日(くもり) 泊り場〜堂ノ窪山〜粟ヶ岳〜八木鼻
天気は下り坂で明日は雨の予報。予備日を残し、雨につかまる前に下山できそうだ。毎朝聞いていた「檸檬」も今日が最後かと思うと少し寂しい。4人で朝食の準備の手を休めて静かに聞いた。
今日も5時すこし過ぎて出発する。堂ノ窪山への斜面はたっぷり雪がついていた。ここから粟ヶ岳まではアップダウンが激しくヤブも多い。光来出沢源流部の美しい斜面が広がる。下流部はブナの新緑が鮮やかに見え、下っていきたい衝動にかられる。1240m三ツ鼻からの下りを心配していたが、雪がなくヤブの急下降で踏み跡も拾えた。それにしても粟を目前に「こんなに下るんかい」というくらい下る。
下った分を急登すれば傾斜が落ち、雪斜面から粟の山頂に到着。まだ朝の早い時間だったため我々だけで静かな時を過ごすことができた。歓声もガッツポーズもなかったが、ただただうれしかった。
山頂からは日本海を望むことができた。下界は新緑が鮮やかで、田には水が入り、すっかり春の装いのようだ。いままで辿ってきた雪世界とは、この山頂を境に別の世界へ降りてゆく。趣のある粟薬師のあたりがちょうどブナの新緑で、この山行で初めて緑の下で休む。
のんびりと下り、登山口の駐車場からのどかな農道をてくてくと八木鼻温泉「いい湯らてぃ」まで歩き、山行を終えた。
終わってみれば、毎日根気よく歩き続ければゴールに届くという当たり前の結果であったが、一度も気力がなえることはなかった。それはメンバー全員の意志のまとまりがもたらしたものであった。「やっぱりこのルートにして良かったよ」と言った岩崎の言葉がありがたかった。40代最後の春に、こんな充実した時を共にしてくれたメンバーに感謝したい。
タクシーで運ばれた三条の街で、じいさんとばあさんの経営する小さなラーメン屋で、ささやかな打ち上げをした。餃子とビールで下界の小さな幸せを噛みしめた。

〈コースタイム〉
4月29日 丸山スキー場9:40〜赤柴山北16:30
4月30日 5:20発〜毛猛山11:40〜1176mP北15:40
5月1日 5:20発〜六十里越9:40〜鬼ケ面山15:20
5月2日 5:20発〜浅草岳8:20〜八十里越13:00
5月3日 5:00発〜中ノ又山12:40〜772m手前コル17:50
5月4日 5:20発〜裏ノ山7:45〜今早出沢源頭コル16:40
5月5日 5:20発〜矢筈岳6:40〜青里岳9:40〜堂ノ窪山手前15:00
5月6日 5:10発〜粟ヶ岳8:20〜八木鼻12:40


毛猛山へ向かう 4/30

 


毛猛山手前で、背後は檜岳 4/30

 


鳥超手前の木ノ根沢源流部 5/3

 


中ノ又山ピークで 5/3

 


5/5朝、下矢筈岳へ向かう

 


矢筈岳付近から 青里岳と川内の山並 5/5

 


縦走のゴール粟ヶ岳 5/6

 


8日目にたどり着いた粟ヶ岳山頂で 5/6