毛猛・毛猛沢本谷左俣〜毛猛山〜大熊沢三ノ沢下降〜大熊沢中ノ沢左俣〜二ノ沢山〜黒又川赤柴沢三ノ沢下降〜黒又川赤柴沢〜未丈ケ岳〜三ッ又口(泣沢)

2008年7月26日〜29日 
L.矢本和彦・宮内幸男・渡辺輝男
記録=矢本和彦

 毛猛山を巡る遡下降を4年位前から計画していたが、毎回台風などで中止になっていた。今年も計画を出したところ、以前から未丈までつなげてはどうかと声をかけてくれていた宮内さんと日程で折り合いがついた。このルートは、1991年7月27日から31日で浦和浪漫高桑さんら三人パーティにより計画されたものと同一ルートである。しかし、このときの高桑パーティは雪渓の状態の悪さなどから5日間かけて赤柴沢峠ノ沢から四十峠を越え泣沢へ下りている。未丈へはつなげられなかった。それでも、17年も前にこのようなルートを見出し実行していた高桑さんら浪漫パーティはさすがだと感心してしまう。宮内さんも、このルートは20年前から考えていたそうである。そんな昔、私はまったく違う世界に住んでいたように思うが、紆余曲折を経ながら今回の山行に至ったというわけだ。

 この山域は、田子倉湖、黒又ダム、銀山湖に囲まれ、登山道もなく、アプローチも悪いが、その分だけ手つかずの自然と未知の世界が残されている。しかし、毛猛山を巡る渓は小さいながらもどれも急峻であり、連瀑帯ありの悪い高巻きありで、面子が揃わないと入れない渓ばかりである。大熊沢二ノ沢の大変だった思いがよみがえる。
 今回、当初、熊倉さんも参加予定だったが、残念ながら都合で不参加となってしまった。ただ、わらじの伝説的リーダーで、都岳連救助隊長だったテルさんが参加してくれることになり、心強い存在となった。

7月25日

 池袋駅20時発の夜行バスにて小出を目指した。我々の乗ったバスは関越道で、とんでもないふざけた奴らのカーチェイスに巻き込まれ、バスの直前で急ブレーキ、急ハンドルするものだから、バスがそれを避けようとして急ハンドルを切って危うく横転転覆しそうになる場面があった。小出インターで下車し、小さな待合所で仮眠、しばらくすると雨が降ってきた。

7月26日

 4時に頼んであったタクシーで国道252号沿いの毛猛沢出合に向かう。途中コンビニに寄る。雨が断続的に降っている。出発を遅らせても良かったのかとも思ったが、何せタクシーが来る直前まで寝ていたものだから仕方ない。
 初めての人には、なかなか入渓点は分かりづらいが、国道右の足沢山の入口ゲートを見て、頭上に高圧線が目に入ったら、その先にあるカーブミラーのところから右下に降りる砂利道に入ると毛猛沢の出合である。道はすぐに工事中で行き止まりとなり、タクシーを降りる。
 5時前だったが、雨が降っていて行く気になれず、その場にあった工事で使う土管の中で雨宿りしながら、しばし仮眠して待った。しかし、一向に天気が回復する見込みはなく、雨の中、行けるところまで行ってみることにする。右岸に踏み跡があり、しばらく進み、見失って沢に入る。まったく足元が見えない茶色い濁流となる。流れも速くて徒渉もできなくなり、右岸の台地で1時間半ほど停滞した。台地の上を藪こぎで歩き出すと、ゼンマイ道と思われる踏み跡が見つかり、比較的容易に太郎助沢出合に至る。
 状況はあまり変わらないが、毛猛沢の本流を進む。やがて、濁流の徒渉と高巻き、雪渓の乗り越し、懸垂下降を繰り返して、百字沢出合に着いた。この辺りにはかなり大きな雪渓が残っていた。右岸の急な支尾根に泊れそうなスペースを見つけたが、時間がまだ14時と早かったのでテルさんの「行こう」との言葉に促されて先に進む。
 目指す毛猛沢本谷左俣がどれかはっきりしなかったが、一番水量が多くて、滝が頭上へと果てしなく連なっている沢に入ることにする。最初は、登れない滝を雪渓から右岸の急な藪に取り付いて越える。しばらくフリーで小滝を越えていくと10m位の滝が出た。テルさんと宮内さんは先に右岸のルンゼに入って巻こうとしていたが、私が後から来て滝の様子を窺っている姿を見て二人も降りてきた。巻きもかなり悪いそうだ。
 最初、左岸からロープを付けて矢本が取り付いたが、滝の上部が悪く、すぐに選手をテルさんに交代する。テルさんは矢本のショルダーで上がり、ブッシュを頼りに微妙なトラバースで落ち口に抜けた。荷上げをして空身で続く、それでも巻きより時間的にも速かったし、安全だったようだ。
 その後も滝が続くが、大方のわらじ会員の予想どおり、このパーティの登り方はばらばらで、滝上で「そっちのルートはどうだった」とか、「俺のルートが一番良かっただろう」などと話していた。
 結局、滝でロープを出したのはこの一回だけだった。天気は曇り、ときどき雨、頭上はガスで様子はわからない。自分の登っている沢さえよくわからず、幕場適地がないかだけを考えていた。そのようにして、えっちらほっちらと登っているうちにかなり上部まで到達し、稜線が近い雰囲気となった。傾斜が緩んだところで大きな雪渓となり、いよいよ幕場を見つけなくてはならない感じだ。雪渓で二俣となっており、最初、左俣の様子を見てみると、すぐに水が枯れていて、登れそうもないルンゼになっていた。右俣に行くと、沢が左曲する場所で尾根が平らになっている場所があって、ここを幕場に決定した。
 土木工事で整地して、草を敷いたら、快適な寝床に変身した。水も近くで雪渓に穴が開いていたので、ハンマーで広げて、テルさんが入って汲んでくれた。お湯を沸かそうとしたところで、テルさんが持ってきたプリムスのカートリッジが空だったことが判明した。出がけに入れ間違えてしまったらしい。宮内さんの持ってきた1個で何とかしなくてはならなくなった。

photo : 上・毛猛沢本流ゴルジュ/下・毛猛沢上部の滝

7月27日

 朝は3時に起きた。天気予報では今日からは天気がいいはずだった。やがて、ぼんやりとした太陽が昇り始め、我々も行動を開始する。雪渓の終わりからルンゼを少し登ると、登れない壁となり、右岸の草付きに入る。立った藪を強引に上がって、途中から右手のルンゼに入って最後にブッシュを頼りに上がると稜線だった。そこから藪稜線を左方向に進むとすぐに毛猛山の山頂があった。どうやら、毛猛沢本谷左俣を遡っていたようだ。尾根を越えた向こうには、円錐形の未丈ケ岳がきれいだ。天気もよく爽快だ。
 ここからは、南西の尾根を下降して大熊沢三ノ沢へと下降する。天気は良かったが、早い時間に行動できたので、炎天下の藪こぎは回避できた。大熊沢三ノ沢は懸垂を何回かしたが、比較的下降しやすい渓だったと思う。
 大熊沢中ノ沢出合に降りて、今後のルートについて考えた。立柄沢から大鳥岳を越えた方がルート的にいいのではないかという話もあったが、時間や幕場や行程の進み具合を考えると、計画どおりの方がよさそうだということになった。
 大熊沢中ノ沢左俣の上部に大きな雪渓があって右岸から懸垂で降りると、さらに次の左俣が滝になって出合っていた。このころから空の様子がおかしくなってきた。雲が広がり始め、ゴロゴロと雷が鳴り、雨が降り出すのは時間の問題といった感じだ。出合の滝を空身でテルさんが登ってくれ、先に進もうとすると、いよいよ雨がパチパチと強く降りだしてきた。宮内さんが「降るときは降るぞ」といい、先には進まずしばらく様子を見ることにする。最初、沢の左岸で座っていたが、一向に降り止まず、宮内さんは支尾根を少し上がって木のあるところで様子を見ようという。雨は、断続的に強くなったり弱くなったりを繰り返し、そうこうしているうちに水量が一気に増え始めた。目前のトイ状の小滝が様子を変えて、茶色い濁流を大量に吐き出し始めた。雨に打たれながら、今日の行動はもう無理と判断して、その場で尾根を削ってビバーク地を作ることにする。
 三人で斜面をハンマーで削った。削った土が雨でぐちゃぐちゃになりながらも、傾斜があるけど何とか足を伸ばして寝られるくらいのスペースとなった。一時的に雨がやんだところで、水を汲み、寝床に草を敷き詰めて、フライを張った。一息突くと、またしても雷とともに一段と強い雨が降り出してきた。

photo : 上・毛猛山山頂/下・大熊沢中ノ沢出合付近

7月28日

 4時前に起きると水はだいぶ引いていたが、天気は曇りで雨交じりだ。まだ雷がゴロゴロとなっている。うんざりするような状況だったが、先に進むしかない。二ノ沢山までは予想より早く着いて、昨日、結構登っていたことを知った。山頂から稜線の藪を少し漕いで東方向の尾根を下降する。雨が降ってきたので、なるべく尾根で行くことにする。
 尾根は、稜線とは違って藪が薄くて獣道がつながっていて、比較的楽に降りられた。800m付近から、黒又川赤柴沢三ノ沢に下降した。赤柴沢出合まで懸垂の連続だったが、予想以上に早く下降できた。
 しかし、出合のところで水量が多くて徒渉できるかわからず、しばし思案する状況となった。思い切って矢本が行ってみたところ意外にも水中に石があって、それを使って渡ることができた。この一か所以外は徒渉に問題はなかった。
 赤柴沢は大滝こそないものの微妙な小滝が続いた。一見すると行けそうもないのだが、行くと行けるのである。冷たい水に浸かりながらの遡行で、かなり疲れた。途中、宮内さんにユキザサを教えてもらい食べたが、とても美味しかった。なかなか幕場適地がなく、ダワノ沢出合でようやく左岸にフライを張れそうな場所があった。
 びしょ濡れの薪を集めて焚火をした。燃料がないのでしかたない。宮内さんが、ブルーシートを見つけてきて焚火の上に張ってくれた。雨が時々降ってきたので、安心して焚火ができた。ここで、初日の朝に食べた弁当の殻をようやく燃やしてなくすことができた。風が強かったが、寒いような冷たい空気ではなかった。焚火の暖かさに、寝るのが22時になってしまった。

photo : 赤柴沢の遡行

7月29日

 3時半に起床したが、体の節々が痛く、体が重くてなかなか起きられなかった。こんな状況は久しぶりだ。焚火をつけるのも、薪が湿気っていて時間がかかった。夜がしらじらと明けてくるころ、ようやく火が安定してきた。宮内さんのマーボ茄子を食べて、遡行を開始する。今日も曇り、ときどき雨だ。
 赤柴沢はダワノ沢を過ぎると、ただのガレ沢となった。そして、やがて藪へと突入した。ここからの宮内さんの勢いは凄かった。山頂までの猛烈な藪をすごい勢いでかき分け、一気に未丈の山頂まで突進してくれた。
山頂に着くと一瞬だけ、遠くの山並みが姿を見せてくれた。テルさんもこの毛猛の演出に感動してくれた。「もうお腹一杯、おかわりもいりません」という言葉が、おかしかった。
 下山道でも雨が降ったりやんだり、カッパを着たり脱いだりの繰り返しだった。二人の登山者と出会った。黒又川を立派な鉄橋で渡り、鎖を使って枝沢を下りたり登ったりして、以前の記憶とまったく違う道をたどると、やがて駐車場だった。
 タクシーを呼ぼうとトンネルの緊急電話を使おうとすると、緊急電話は故障しているのか「ツー」という音がせず、使えなかった。未丈の山頂で携帯が通じたので、下山の3時間を見越して、タクシーをお願いしても良かったのだが、下山してから緊急電話を使った方がいいということになっていたのである。しかたないので、テルさんが、小出方面に向かう車を強引に止めて、タクシー会社の電話番号を書いてあった登山計画書を運転手の方に渡して、タクシーを呼んでくれるように依頼した。
 しばらくすると、小出からタクシーが迎えに来てくれ、薬師の湯まで運んでもらった。風呂の後、再びタクシーで小出に出て、越後湯沢からMAXの2階席に乗り、テルさんから酒を御馳走になって、山の話に腹を抱えて笑いながら帰京した。
 沢としては小さいので短かったような気もするが、雷雨で増水の日々という遡行条件の悪さと相まって、充実した山行であった。

photo : 雨にたたられた山行だったが未丈ケ岳に無事到着

<コースタイム>
7月26日 R252毛猛沢出合6:45〜(停滞1:30)〜太郎助沢10:20〜百字沢出合14:00〜毛猛沢本谷左俣上部二俣1250m付近17:20
7月27日 5:10〜毛猛山6:15〜南西尾根1350m付近8:20〜大熊沢三ノ沢下降〜大熊沢中ノ沢出合12:05〜同左俣900m付近14:30
7月28日 5:45〜二ノ沢山6:45〜東尾根下降〜黒又川赤柴沢三ノ沢下降〜黒又川赤柴沢出合11:00〜赤柴沢遡行〜ダワノ沢出合16:20
7月29日 6:45〜未丈ケ岳9:20〜三ッ又口(泣沢)12:40
※参考・タクシー代
往路:13540円、復路5800円+1660円