ヨーロッパアルプス・マッターホルン・ヘルンリ稜

2008年8月10日〜11日
L.矢本和彦・矢本典子
記録=矢本和彦

8月7日

 いよいよ出発が近づいたが、残念なことに、それまで晴れが続いていたスイスの天気が、私たちの旅行の期間にあわせて、よくない週間予報へと変わっていった。
 私は、出発前日8月7日、スイスの気象情報のサイトをいくつも見比べたが、ツェルマット周辺では、8日は雨、9日は曇り、10日は晴れ、11日は晴れ後雨、12日、13日は雨、14、15日は雲り時々晴れという予報だった。
 そうなると、10日しか登る日はないということになる。10日から登るとなると時差ぼけの解消や高度順化ができず、苦しい登山になることは明白だった。とはいっても仕方がないので、あきらめて出発前夜、ヘルンリ・ヒュッテに国際電話をかけ宿泊の予約をした。
この段階で、日帰りは無理、ソルベイ・ヒュッテ泊は間違いないと考えていた。
 なお、スイスの天気予報として、読み方はわからないが、 http://www.meteocentrale.ch/ でソルベイ・ヒュッテの予報や細かい気象情報が知らされており、参考になった。

8月8日

 午前11時10分発のJAL便にてフランス経由でジュネーブに向かう。機内では映画を3本見た。過去、2年連続で預けた手荷物が届かないハプニングがあったが、今年は無事届き安心した。ジュネーブでは、ユースに泊った。

8月9日

 私たちは、朝一番、7時10分発の電車でツェルマットに向かった。
 なお、チケットを買う前に、ハーフプライスのパス(Half Fare Travel Card)を買った。
 そして、電車の中で、山の服に着替え、ツェルマットに着いたらヘルンリ・ヒュッテにすぐに行けるようにパッキングを済ませた。登山靴はザックに入れ、ヘルンリ・ヒュッテまではハイキングシューズで行くことにする。
 ツェルマットに10時52分に着いた。空は快晴だった。まず、一番初めにホテル・バーンホフに行き、「下山したら泊まるから」といって不要な荷物を地下のスキールームにデポさせてもらった。
 次に、アルパインセンターで天気を確認したが、予報に変化はなかった。受付で登山の遭難救助保険があるか聞いたが「ない」といわれた。他の記録に薬局か郵便局で入れるとの記載があったので、薬局で聞いてみたが「ガイド付きの登山でなければ加入できない」と断られた。後日、他の登山者に聞いたところどのような経緯かわからないが、入れたという話もあったが、私たちはこれであきらめてしまった。
 次に、COOPで水を買って2.5L水筒を満たし、小屋で高額な水を買わなくてもいいようにした。そして、ロープウェイ乗り場へと向かった。街を抜けるとマッターホルンが美しい姿を現した。圧倒的な存在感というか、その大きさにびっくりさせられた。これから登るというのに、本当に登れるのか不安になるような大きさ、高さだった。
 シュヴァルツゼーでロープウェイを降りると、マッターホルンはますます大きくなり、すでに負けそうな気がしてきた。ロープウェイ乗場から、ゆっくりと2時間弱でヘルンリ・ヒュッテに着いた。15時ちょっと前だった。マッターホルンから下山してきたと思われるガイドや登山者がいた。日差しが眩しかった。ここまで来ると、ヘルンリ稜は若干傾斜が緩くなったように見えて、何とかなるかなあという気になってくるが、それでも不安で一杯だった。
 まずは、テラスでスープと紅茶を飲んで一息つき、15時過ぎにチェックインを済ませた。私たちのベッドは、2階のルームナンバー3、ベッドナンバーは2段ベッドの上段11番と12番だった。
 ガイドレスの日本人は、私たち以外に、新潟から来ていた二人の若い日本人男性ペアがいた。夕方、二人はヒュッテの外で、コンロでお湯を沸かしてジフィーズを食べていた。ヒュッテには素泊りのようだ。この二人とは、翌日、ほぼ同一行動となった。それ以外にもガイドと登る日本人が数名いたように思うが話はできなかった。
 19時になって食事の時間となり、小屋の1階に行くとテーブルは満席だった。70人から80人はいたような気がした。ガイドパーティのテーブルに割り込ませてもらい、食事をした。その後、気がつくと羽織っていたシャツがなくなっていることに気づき、しばらく探す羽目に。周囲を散々探して見つからず、落胆の末、ふと部屋の前の靴棚の上を見たら、何やら似たシャツが籠の中にあり、手にとって見たところ自分のものであった。誰かが置いてくれたようである。
 21時ころベッドに入ったが、時差やら不安やらで、なかなか眠れなかった。トイレに行きたくなって目が覚めたりし、結局、朝までよく眠れなかった。

8月10日

 3時半ころ誰かが起き始め、それに合せて全員が起床した。私たちは、先頭切って歩けるわけがないので、初めからのんびりモードだった。部屋の前で靴を履き、ヤッケの下を履き、スパッツをつけた。上着は、半袖の上に長袖を着た。荷物を整理し、デポする物を持参したスタッフ袋に入れ、2階の棚に置いた。
 食堂に下りると、すでにほとんどの人は出発した後だった。テーブルの上のパンを食べ、お茶を飲み、4時40分、ゆっくりと出発する。どうせ取り付きで渋滞だろうと思っていた。
 が外に出たところ、暖かいからヤッケの上は要らないという。見上げると満天の星空、ヘルンリ稜には、すでにかなり高いところまでヘッドランプの明かりが上がっているのが見えた。下を見ると、ツェルマットの街灯りがきれいだった。取付きには8人くらいが順番待ちをしていた。見るとロープを結んでいるパーティが多い。私たちは、しばらくロープは付けずに、フリーで登ることにした。
 ヘッドランプを消して節電し、順番を待った。少しすると数名が来て、私たちの後ろについた。取り付きの赤いロープを手繰って、最初の壁を越える。何てことはないが、ちょっと緊張の瞬間だ。しばらくは傾斜のない登山道のようになり、やがて岩の段差を越えていくような感じになる。基本的に踏み跡があり、私たちとしては、ヘッドランプの列について行くだけなので楽だった。
 私たちの直前を登っていたのは、ロシア語のような言葉を話す四人組の2パーティで、私の直前を歩く人は、歩き出してすぐに、ぽたぽたと玉の汗を垂らしているようで、結構大変そうだった。私たちは、このロシア語らしい言葉を話す人達を「ロシア隊」と呼び、しばらくロシア隊の後ろを歩いた。私たちの後ろから来る人が何人かいたが、みんな追い越させた。私たちは、高度順化中だったのだ。
 やがて、夜が明け、太陽がマッターホルンの頂上付近を照らし始めた。美しい光景だった。第2クーロワールを巻いて、少し登ったところで、昨日ヒュッテにいた日本人男性二人のパーティに追いついた。そして、以後、私たちは四人組の2パーティとなり、同一行動となった。
 この二人は、新潟県妙高市にある「国際アウトドア専門学校」の先生と生徒で、先生は立川龍太郎さん(以下「先生」という)、生徒は佐藤佑人さん(以下「佑人君」という)という方たちだった。
 第2クーロワールの先で稜線から赤と白のロープが垂れているところがあり、本当はこのロープ沿いに登るべきところを、ちょっと急だったので巻き気味にガラ場に入ってしまった。すると、上方にいたロシア隊が落石をして、大きな石が多数、私めがけて落ちてきた。びっくりしたが、石を最後までしっかりと目で追っていたら、私の目の前で左右に分かれて、両脇を落ちて行った。ちょっとラッキーだったかもしれない。マッターホルンは、落石での事故が多いらしい。
 ソルベイ・ヒュッテが近づき、他のパーティの真似をしてロープを出したが、それほどの場所ではなかった。ワイヤーが設置されていたが、小屋直下の部分にはなかった。小屋の直下では、登る人と降りる人がいて若干の順番待ちがあったが、このとき先生がロープ引きましょうかと声をかけてくれ、我々のロープを引いて小屋でビレーしてくれた。ルート的にはスラブというより、浅いルンゼのような感じだ。1か所、ヘルメットがぶつかるような狭いところがあった気がした。
 小屋に着いたのは8時50分で、4時間以上かかってしまったが、マイペースで登っていたので、疲れたという感じではなかった。小屋で少し休憩していると、上から続々とガイドパーティが降りてきた。
 ガイドは、客をロアダウンで降ろし、自分はフリーで降りてきていた。私たちの前に登るパーティも何組かいたので、その人たちの登り方を見ていたが、小屋の奥(頂上側)から直上する感じだった。
 私は、このときソルベイ・ヒュッテにビバーク装備等をデポしたのだけれど、後で考えると小屋に帰れない場合もあるのだから、どうだったのだろうかと思う。しかし、このときは、天気が非常に安定していて風も雲もない状態だったので、そのようなことは考えなかった。
先生が登ろうとしたので、私たちも続いて登ることにする。ソルベイ・ヒュッテのすぐ上は、出だしホールドが甘いけれど、一歩上がればすぐに傾斜が落ちて、稜線上に出る。ここからはロープなしでも行けそうだけれど、よくわからないのでロープをつけたまま稜線上をスタカットで登る。確か、1ピッチ半くらいでコンテに変え、東壁側に回り込むと、白いロープがフェースに張られていた。ルートは、10m直上して左曲し、10mトラバースして尾根に上がっている。最初、白いロープにプルージックをかけて行こうかと思ったが、先生からロープを引いてくれといわれて、ロープを出した。


 
 尾根に上がってからは、スタカットでさほど難しくはないが高度感のあるところを、3、4ピッチ進むと、いわゆる肩の下の雪田となった。ここでアイゼンを付け、ヤッケを着た。ここからピッケル片手に、ビレーポイントの支柱がある急な雪田を4ピッチで肩から左に雪稜を上がったところにある岩場にでた。
 肩は北壁側の視界が開け、高度感も満点で気持ちがよかった。見上げると、ほとんど絶壁のところに白いロープが張られていて、そこに小さな人の姿が見えた。まだまだ先は長そうだった。
 肩の少し上でまた岩稜になり、細い雪のコルを通過し、東壁側から回り込むようにして岩を登って稜線に上がった。すると、また雪稜となり白いロープが絶壁の下まで張ってあった。ここまで肩の上から3ピッチ。ロープ帯はグリップのいいゴム手袋を使って、ゴボウ3ピッチで登れた。その上は、また急な雪壁となったが、すでにステップが階段状になっていて安定していた。そんな斜面を、4ピッチ登ると山頂だった。聖者の像は、懸垂下降しようとする人たちが使っていて、最後、スタンディングアックスでを迎えた。
 山頂からは、イタリア側の街フルッケンが近くに見えた。快晴で360度の視界、風も弱く、完璧な条件での登頂だった。私たちには、この条件でなければ登れなかったと思う。登れたという感じではなく、山の神様に登らせてもらったという感じだ。山頂でしばらく雪の上に腰をおろして、景色を眺めていた。
 先生たちは、他パーティの下山の手伝いをさせられて少し遅れて山頂に着いた。先生とは阿吽の呼吸で一緒に下山しましょうということで話がついた。私たちは、2本のロープを結束して、聖者の像に懸垂用にロープをセットした。そして、先生たちが山頂で記念撮影をして戻ってくると、すぐに下降を開始した。
 下山は、50m懸垂で、山頂から4ピッチでフィックスロープ帯の下まで降り、岩稜を1ピッチ、フリーで肩まで行き、2ピッチで雪田の下まで降りた。
 私たちは、軽量化のため、ロープをダイニマの6o×50mを使用していたが、懸垂ではロープがすぐにスパゲッティ状態になってしまい、かなり時間をロスしてしまった。やはり、最低でも8oはあったほうがいいと思う。ロープの長さは最低でも50mは必要で、足りないところもあったので、60mくらいあってもいいのかもしれない。
 雪田の下からは、傾斜がなくなるので、ロープ1本で25m懸垂にして、4、5ピッチだったと思うが、下山を開始して約6時間たった21時ちょうどにソルベイ・ヒュッテにたどり着いた。時間はかかったが、当然まだ明るかったし、天気がよかったので、全然、慌てることもなく、マッターホルンを楽しみながら下山していた。
 ソルベイ・ヒュッテには人はおらず、私たちだけであった。私たちの少し前を降りている人たちもいたが、泊まらずに降りていってしまったようだ。私たちは、朝行動を開始してから、なんと16時間20分がたっていた。それでも、疲れてくたくたといった感じはなく、ずっと気は張っていたし、体調も悪くなかった。先生が、暮れ始めた空を見ながら、今日は朝焼けと夕焼けを見ましたねといった。
 アイゼンを外し、小屋に入ると、大きなマットレスが2枚と毛布が10枚以上あった。やったー、快適な一夜が過ごせる。マットを並べて、毛布を敷き、靴を脱いで腰を下ろした。行動中あまり食べていなかったが、不思議とお腹は空いていなかった。少しすると、周囲は暗くなり、ぎりぎりまで行動していたことを知った。水を飲み、少し食べて、すぐ毛布にくるまって横になった。ダウンやヤッケを着ていたが、明け方には寒くて何度か目が覚めた。それでも、結構寝られたようだ。

8月11日

 アラームが6時になって、目が覚めた。窓から空がオレンジ色に明るくなっているのが見えた。全員、頭が重いという。高度障害だろうか。ボーっとしていると、窓から、今朝登ってきたガイドたちと目が合った。少し食べ、身支度をして、下山を開始した。
 ソルベイ・ヒュッテの直下には、次々と登山者が登ってきていた。まずは、小屋の麓側にある鉄柱を使って懸垂で降りる。その後、要所・要所で25m懸垂を合計5、6回した。下山の方が、ルートはわかりやすかった。ガイドのルートは、落石が来ないような高い位置につけられていることがわかった。
 ところが、1回大失敗をし、ヒヤリハットをしてしまった。残置シュリンゲを使って懸垂しようとした際、巨岩の隙間にまわしたシュリンゲにロープを通したつもりが、シュリンゲがプルージックになっておらず、体重をかけたはずみにすっぽ抜けてしまったのだ。残置シュリゲがたくさんあって、ごちゃごちゃしていたのに、よく確認しなかったのがいけなかった。幸い、直下が、斜面ではなく岩だったことや、佑人君の反応の速さもあって、事なきを得た。
 こうして何だかんだ、合同パーティ、最後の赤いロープを伝って無事に取り付きへと戻った。
 ヘルンリ・ヒュッテに戻って、預けたパスポートを受け取り、デポ荷を回収した。テラスで、紅茶で乾杯し、しばらくボーっとしていた。ズーっと緊張が続いていたので、喜ぶというより、ホッとしたという感じだった。そして、四人でテラスに並んでマッターホルンをバックに写真を撮り、ツェルマットへと下山を開始した。
 シュヴァルツゼーまで四人で降り、私たちはレストランに入ることにして、先生と佑人君と別れた。二人とは、夕方18時にバーンホフのキッチンで落ち合うことにした。レストランでマッターホルンを見ながら、まずはビールで乾杯、そして昼食とした。日本を出てからマッターホルンまで、ずっと続いていたような慌しさだった。
 バーンホフに行き、部屋が空いているか尋ねると、一番高額なバスタブ付きの部屋なら空いているといわれ、そこに入った。ここでお風呂に入れるとは願ってもいなかった。バスタブにお湯を張って、ゆっくりと温まった。
 16時ころだったが、風呂から出ると、いつの間にか外では雨が降り出していた。さっきまで、あんなに天気がよかったのに、変化の速さにびっくりするのと同時に、天気予報の正確さと、天気がいいうちに下山できたことに感謝した。
 その後、コープに買出しに行き、二人が来る前に打ち上げの準備をした。それから、翌日からのホテルの予約をし、明日はバスタブとトイレのない部屋に移ることにした。
 先生と佑人君が来て、打ち上げとなった。大量のビールとワインを飲んだ。先生たちは、私たちより先にツェルマットに来ていて、もう少し前に登ろうとしていたが、8月8日にツェルマットで大雨が降って、山頂付近では50pくらいの降雪があったらしい。それで、雪が安定するのを待って10日に登ったそうだ。実際、9日は雪の状態が悪く、雪崩の危険もあったという。また、原因はわからないが、9日に登ったアメリカ人二人が遭難したらしい。
 そして、夜も更け、二人とは、日本での再会を約束して別れた。

8月12日から17日

 天気がいい日はトレッキング、雨の日はツェルマットの街を散策して過ごした。夜は、毎晩バーンホフに集まる日本人旅行者たちと、楽しい飲み会をした。
 しかし、下山後、時差ぼけ(?)、寝不足(?)、過労(?)、しばらくの間は体調不良の日が続いた。いきなり登ったのがよくなかったのかもしれない。階段をちょっと登っただけで息切れがした。
 ツェルマットは、日本の灼熱の夏からは想像できない涼しさで、15日にはシュヴァルツゼー付近でも降雪があったくらいで、ダウン必携だった。
 また、晴れていてツェルマットの街ではTシャツでも、ゴルナーグラートやクラインマッターホルンでは冬山のような寒さと強風だったりする。山の次元の違う自然の厳しさを感じた。
 16日、ツェルマットを朝一番の電車に乗ってローザンヌで下車、フェリーでレマン湖を渡ってジュネーブへと帰った。そして、日本に向けて飛び立った。



 
 10年前にモンブランに登っており、久々にヨーロッパの山に登ろうと考え、マッターホルンが頭に浮かんだ。私たちが登山にあてられる日程としては、8月10日から15日までの6日間だった。この間に完全な2日間の晴天がなければ登れないと考えていた。
 当初、ガイドを付けるか悩み、以前オートルートで頼んだガイドにメールしたが、返事がなく終わってしまった。ツェルマットのガイドに頼むとなると、事前のテスト山行が必要だし、日程的に自由にならない気がして、なかなかすぐに決断できなかった。そうこうしているうちに、時間だけが過ぎてしまった。私たちは、本当にマッターホルンに登るのだろうかと考えているうちに、結局、ガイドレスで登ることにしてしまった。結果的に、8月10日に登るチャンスが与えられラッキーではあったが、だからといってガイドレスの方がいいとは考えていない。マッターホルンでは毎年けっこうな人数が亡くなっているからだ。ガイドがいれば、往復8時間くらいで安全に登れるわけで、ガイド達の力はすごいと思う。
 私たちがマッターホルンに登れたことは、本当に運がよかったことで、ほんのちょっとでも条件が厳しければ、私たちに登れるような山ではなかった。たまたま天気の巡り合わせが良かったことが一番大きかったし、その天気をwebで知ることができたことも大きかった。私たちは、今回、19時間40分と時間はかなりかかったが、その分マイペースでのんびりと登れ、マッターホルンを楽しむことができた。山の神様に感謝したい。
 私の中で、マッターホルンという非常に存在感のある美しい山に登れた満足感、達成感は、日増しに大きくなっているようだ。

〈コースタイム〉
8月10日 ヘルンリ・ヒュッテ4:40〜ソルベイ・ヒュッテ8:50〜山頂15:15〜ソルベイ・ヒュッテ21:00
8月11日 6:50〜ヘルンリ・ヒュッテ10:10
〈装備〉
【個人】長袖、半袖、フリースズボン、靴下、薄手手袋、羽毛インナー(上着)、ヤッケ(ゴア製カッパ)、スパッツ、ミトン、プラブーツ(スカルパα)、アイゼン、ピッケル、ヘルメット、ハーネス、8環、ATC、シュリンゲ(5)、カラビナ(6)、サングラス、日焼け止め、ヘッドランプ(含む、替電池)、時計、カメラ、ナイフ、磁石、笛、グリップ手袋、レスキューシート、救急用品(テーピング等)、トレペー、行動食、非常食、2.5L水筒(ポカリ)
【共同】ロープ(ダイニマ製6o×50m)、ツェルト