乗鞍岳、猫岳スキー

2009年12月30日〜31日
L.岩永晶子、宮内幸男、遠藤徹
記録=遠藤 徹

 地球規模で温暖化現象が叫ばれている。わらじの曾孫たちの時代では「昔、おじいちゃんやおばあちゃんの時代では、「山スキー」と呼ばれていた山行形態があったんだよ」。なんて話も冗談じゃなくなるかもしれない。12月の中旬に麻衣ちゃんと神楽のゲレンデに遊び、あまりの寡雪に呆れて只見の熊倉の家に転がり込んだ。すっかり雪国の人となったクマちゃんは「スキー場には嘆きの雪不足だけど、雪国の人たちには有難い年末になりそうだ」と話していた。たくさん雪が降ると喜んで出かける都会の人間には雪国で暮らす人々の苦労は分かるはずもない。その後、雪不足を解消するかのように寒波が訪れ、各地で降雪をみた。それまで晩秋の趣きだった只見でも一晩で1m以上積もったと聞く。そうなるとせっかくの年末年始の休暇だから少しくらい滑りに行きたくなって暇そうな人間に声をかけた。
 一昨年も同じ雪不足にあって「猫は初滑りには適している」と断定する岩永を信用して乗鞍岳方面の計画を立てた。二日目を猫岳にして、初日を十石山にして日帰り計画の2本立てとした。白骨温泉が昔の湯治宿だったら、とても幸せなプランになるのになあと、まるで緊張感が無い。そこへ緊張感を漲らせて名古屋の林と笠ヶ岳へ行くはずだった宮内さんからメールが流れた。「直前になって笠ヶ岳が潰れたので誰か遊んで下さい」。誰一人としてレスがないまま数日が経過した。ここまで低迷しきったわらじの仲間が嘆かわしい。「スキーでよかったら来る?」と送ったメールに「行く、行く」と二つ返事の代表がまた哀れに思えてならない。

 以前、若林さんから教わった水殿ダムの公園でテントを建てて前夜泊をしたが、余りの寒さに寝付かれなかった。聞けば宮内さんも同様に朝まで震えていたとか。よく寝たと話す岩永の皮下脂肪が羨ましい。気合を入れて未明のアプローチを進め、白骨温泉に着いて唖然。十石山の取り付き付近は藪だらけ。板を担いで登る山でもないと転進を検討する。この様子だと安房山の北面もまだ藪だらけだろう。平湯スキー場から回りこんで金山石を目指すにも時間が勿体無い。ならばと岩永が摩利支天を主張する。特段に意見を持たない二人はこれに同意し乗鞍スキー場のリフトの人となる。リフト最上部に着くとバックカントリーを目指す山ボーダーやスキー屋が数組いた。改めて乗鞍岳の人気ぶりが窺える。
 山スキーは歳を取ってからでも始めると、自分の道具を持たない宮内さんに岩永の古い板と私の兼用靴を履かせる。ゲレンデから外れ切り開きを登り詰めると吹きさらしの位ヶ原についた。とてもじゃないが板のままじゃ歩きにくいガリガリ、ガラガラの大斜面が広がる。これから先、目を三角にしてまでも登るところじゃない。すぐそこに見えているガードレールまで上がりシールを剥がす。それでも帰りは藪を避けながら奇声を上げて新雪を愉しんだ。あっと言う間にゲレンデに戻り車で平湯へ向かう。
 大晦日の日曜日は夜半から天気が崩れ、大雪となった。まぁ、上まで行かなくても途中まで上がってみよう。となり平湯トンネルを抜けた久手牧場に車を停めてから取り付いた。先行者のトレースもなくルートがよくわからないまま上部で牧場を横断する林道を辿り、閉鎖になったスキー場の上を横切る。やがて林道をショートカットし小さな沢を詰めて小尾根の頭みたいな場所で一休み。地図では夫婦松まであと1ピッチほどだろうか。やはり、今冬の積雪は一気に降り込んだものの積雪量はまだ少なく、積雪内部も落ち着いていない。一旦しゃがんでしまうとこれまでにも増して登高意欲がなくなる。仕方ない、この天気では無理もできない。シールを外し登りで見当を付けていた谷沿いから林道に出て無人のゲレンデを下る。あまりに短い距離だが思いのほか快適なパウダーを味わえた。また、しばらく見なかった岩永の技術の上達ぶりには驚いた。本人曰く、幅広の新しい板に乗り換えたからだと謙遜していたが、宮内さんも私もその幅広の板こそが魔法の絨毯のように思われた。あとはお決まりの温泉堪能となる。ひらゆの森の露天風呂で頭を真っ白にしながら、今年一年を顧みた。なんだか中途半端な締めくくりの年末山行だったけど、来年は無事故で楽しく過ごしたいと願う。

写真上から:「乗鞍なんて来ちゃいました」12/30/乗鞍敗退。荒天の予定が遅れて青空 12/30/猫岳敗退 12/31/猫岳、猛吹雪の森は激パウ 12/31