北アルプス・白馬鑓温泉

2010年4月24日〜25日
記:遠藤 徹(単独)

 前夜、二股の車止め脇に開けた広場にテントを張って仮眠した。横浜の自宅から5時間のドライブは、「白馬」と言う、遠いアルプスを思い起こす言葉の響きに比して短く感じた。白馬へは、長野でオリンピックが開催されなければ、昔のまま松本経由で延々と運転を強いられたことだろう。
 翌朝は予想通り青空に恵まれた。明るくなると共に複数のパーティが到着し、なんだかゆっくりコーヒーなど飲んでいる気分にもなれず、そそくさと出発した。兼用靴で長い林道を辿る。猿倉まではおよそ1時間半のアプローチでしっかり汗を搾られる。猿倉で先行する4人パーティに追いつくが、女性を交えた笑い声を聞くと単独行の侘しさは倍加する。シールを貼り、美しいブナ林に取り付く。
 ゆるい尾根を上がると梢越しに眩いばかりの白馬連峰が望まれる。東北や会越の山々に慣れてしまうと まるで田舎者が初めて外国に来たみたいだ。対岸には金山沢の滑降ルートがよく見える、車が2台あれば日帰りで訪れたいところだ。ほどなく猿倉台と呼ばれる広い台地に出ると、正面には杓子岳から大きな谷が降りてきており、左手にはこれから上がる小日向のコルが望まれる。
コルまではシールを貼ったまま登れるだろうと高をくくったら大間違いで、途中のクラストした急斜面ではアイゼンも欲しいくらいだ。板を担いでキックステップでゼーゼーハーハー登り切ると白馬鑓ヶ岳から唐松岳の展望が開ける。朝のうちは晴天であったが頂陵部には雪雲がかかり始めていた。対岸の中腹には目指す鑓温泉に立ち昇る湯煙が見える。小休止後シールを貼ったままコルから広い斜面を自由に滑る。やがて大出原からの支流との平坦な合流点に辿り着き板は進まなくなる。進まなくなったら湯煙に向かってひたすら登り始める。
 このころより天候が思わしくなく雪が降ってきた。温泉から流出する湯の流れを確認し、右手の威圧的な岩壁に沿ってさらに登行を続ける。大出原に続く狭い谷状に差しかかったとき いきなりテンションが下がり登るのを諦めた。今日中に白馬鑓ヶ岳を往復してこようと考えていたが、この天気に気持ちも萎えてしまった。時間はまだ午後の1時過ぎだが早く温泉に入りたくなった。単独行の気ままさよ、シールを剥がし温泉までの短い滑降を愉しむ。ところがここは滑りにくいこと甚だしい。冬の間雪崩れたのだろう、波打つ雪面に板を押さえつけながら慎重に下る。温泉が流出する沢に着いて、ここから遡行すること僅かで待望の鑓温泉の湯船が現れた。
 回りは高い雪壁に覆われている。誰もいない。俺1人の温泉。このまま誰も来ないで欲しい。早速、入浴するが とても熱い。えらい熱い。うっと我慢して浸かっていると少し慣れてくるが 長くは持たない。浴槽の中には夥しい藻やら苔やら枯葉が溜まっており、底はにゅるにゅるで少し動くとぐちゃぐちゃになる。しかし、源泉100%の湧出量には驚かされる。とても贅沢だ。担ぎ上げた缶ビールを飲みながら何度も入る。いいね。いいね。いいねぇ〜。夏であるなら、裸のままで湯浴みを繰り返せるが、時折、風に雪が舞うので湯から上がる度に服を着なくては寒くてかなわない。面倒くさいが何度も着たり脱いだりを繰り返した。湯船の脇には僅かな乾いたスペースが誂えられており、そこへツェルトを張った。
 暮れなずむ北信の山々を遠くに眺めながら至福の時間と空間を愉しんだ。翌朝、朝風呂を済ませると男女2人がやってきた。男性は喜んで入浴したが女性は入りたがらないようだ。着替える場所もないところに私がいるのだから無理もない。なんだか私は遠慮しなければならない立場のような気になってきた。もっとゆっくりしたかったが、私も女性の前で裸になるのも躊躇われ、帰り支度を始めた。
 もと来たルートを辿り小日向のコルまで登り返す。猿倉の手前から尾根伝いに林道をショートカットして、温泉から1時間と少しで降りて来てしまった。こんなことなら空身で白馬鑓ヶ岳を往復してくれば良かったと悔やまれるが、夕方までに帰らなくてはならない用事もあり、温泉が目的だと割り切れば満足な週末であった。

写真上から:小日向コルより杓子岳/白馬鑓温泉/源泉100%の湧出量/猿倉台のブナ林