裏磐梯に於ける悦楽

2011年1月8日〜10日
遠藤徹・宮内幸男・渕上麻衣子・小沼充範(会津山岳会)
記:遠藤 徹

  湯 そして酒 ああ極楽極楽 (種田山頭火)

 私は50を過ぎ、なお、深雪滑降への憧憬は止まない。しかしながら若いときのようなストイック性は持ち合わせてはいないので、この条件を満たすために自ずと山行形態が偏りつつある。すなわち、冬になれば温泉旅館をベースに日帰りスキーを計画することに後ろめたさもわだかまりも失いつつあるのだ。重い荷物から開放され、狭いテントから逃避し、ひたすら安逸と快適性を求めるようになってしまった。

1月8日
 どこか懐かしい昭和の香りが残る裏磐梯スキー場に車を着けたのはリフトが動き出す8時前。必要な装備だけをザックに詰め、短いリフトを2本乗り継ぐとゲレンデの最上部となる。振り返れば桧原湖が美しい。時折り青空さえ覗くいいお天気だ。板にシールを貼りながら準備をしていると、不意に宮内さんが奇異な行動に出た。おもむろに雪かき中のゲレンデスタッフに声をかけた。
「すみません、ちょっとお尋ねしますが、その手袋はどこで売っているんでしょうか」
 宮内さんは北海道で調達できると聞いていた業務用の完全防水厚ゴム手には以前から興味があったようだ。そのスタッフが教えてくれるには、このあたりでは猪苗代の中村金物店にしか売っていないとの事。当然帰りに寄ってくれと宮内さんから頼まれることとなる。磐梯山の爆裂火口壁を眺めながら緩い林を抜けると銅沼の畔に出る。ここから眺める櫛ヶ岳の格好がいい。中の湯温泉跡への登り口が良くわからないため少し遠回りをしてしまった。朽ちた中の湯の建物を廻り込むと、雪がぽっかりと口を開けて白濁の温泉が湧出している。なんて勿体無い光景なのだろう。湯溜りに浸かりたいがストックを刺すと膝下の水深なので諦める。ここから磐梯山の北西に延びる尾根を辿り弘法清水小屋を目指したが、上部に上がるにつれ薮がひどくとてもじゃないがスキー向きではない斜面だ。旧い記録には快適な斜面だと記述されていたが一体どこのことだろう。しばらく登るが藪漕ぎに閉口し弘法清水の手前から戻ってきてしまった。銅沼に戻ると沢山のトレースがあり、午後だというのにゲレンデ方面から向かってくる人も多い。おそらくイエローフォールなる氷瀑見物のツアーだろう。このあたり確かに美しい景色が広がっている。散策するのには向いているのだろう。
 車に2時過ぎに戻り、喜多方へ向かう。会津山岳会の小沼君と喜多方のヨークベニマルで待ち合わせをしているのだ。今夜はすき焼きなので上等な和牛と旨そうな地酒を選ぶ。麻衣ちゃんが地元名物と売られていた饅頭を揚げた奇怪な天ぷらをカートに入れる。こんな雰囲気で買い物をするのも楽しいものだ。無事に小沼君とも落ち合いダンボール箱3つにもなった2泊分の食料を積み込み、裏磐梯大塩温泉へと向かった。
 宿名は伏せておきたい。1部屋1万円なので1人2500円は今時の自炊宿でもそうはあるまい。しかも湯がいい。当然、宮内さんと私のことだから喰う寝る以外は湯へ通う。小沼君も呆れないで付き合ってくれる。さらに下戸の宮内さんに代わって飲み相手となってくれるから嬉しい。小沼君の荷物はビールと純米酒と芋焼酎とモルトウイスキーであった。私と気が合う。酔うにつれ福島訛りで会津の山々を語りだす。初めのうちは麻衣ちゃんも付いて行ける山の名だが、夜が更けると共にマイナーな山名となり佳境に入ってゆく。

1月9日
 前夜からの降雪は30cmほど積もった様子で、出発の朝も降り続いていた。とりあえず雄国沼へのコースに向かうことにする。小沼君の車をラビスパに置いて、1台で猫魔スキー場に向かう。高速クワッドで一気に1300mまで運ばれれば、多少の悪天は気にならなくなってしまう。コンパスで方向を確認するが何を見誤ったのかあらぬ方向へ滑り出してしまい、シールを貼り直して再び登り返した。視界もトレースもなく経験者もいないので慎重に雄国沼を目指す。想像以上になだらかな起伏のある広い稜線で、各々地図を出しては立ち止まるので捗らない。すると一瞬視界が開け、前方に雄国沼が見えた。少し西へ向きすぎたので1108付近から沼に出た。
 湖畔の休憩所で単独の先行者(途中で抜かれた)に追い着く。聞けば猫魔へ戻ると言う。我々はのんびりコンロを点けてコーヒータイムとする。それにしても立派な休憩所だ。入り口が引き戸になっているので雪が吹き込んで閉らなくなっている。宮内さんが備え付けの竹箒で掃除をしていた。小屋の裏手より雄国山と1236とのコルを目指しラッセル登行。コルの位置が判然としないまま登っていると突然視界が開け眼下に雄国沼が広がり、薄氷をまとったブナに覆われた猫魔の山々が見渡せた。思わず歓声があがりテンションも上がる。コルに立つと反対側の眺望もあるかと期待するが、日中や飯豊は厚い雪雲の中であった。右手に小さな雪庇を出す小さな稜線を少し辿れば櫓の立つ雄国山の山頂に着いた。
 ここからのコース取りだが、通常の1102を経由するルートだと藪も埋まり切らず、新雪でシール歩行も余儀なくされそうなため、記録は見たことがないけれど、真北に滑って桜峠を目指そうとなった。地図から憶測するには適度な斜度が続き、方向を間違わなければ問題ないだろうと判断した。
 シールを剥がし滑り出す。果たして樹間の混んでいない快適な斜面が続いた。中ほどでは新潟の松之山にある美人森を彷彿とさせるブナの若木が素晴らしかった。しかし、下部ではハマッテしまう。ラビスパの施設が見えてから沢状となるが、もうすぐだからと高をくくって沢を降り始めたら流れが出てきてしまい往生した。最後は林道に出てシールを貼り直して一時間以上歩かされた。
 ラビスパで私と宮内さんが待ち、麻衣ちゃんと小沼君で猫魔へ車の回収をしてもらう。ルートミスから散々な顛末であったが、今宵もあの湯に浸かれるかと思えば、暖かい布団で寝られると思えば、みんな今夜の酒の肴の笑い話となる。

1月10日
 本日は連休中で最も天気が悪い。宿でチェックアウト。「4人でたったの2万円!」を済ませグランデコに向かう。今日は西大嶺から大早稲沢山へ縦走の計画で昨年のリベンジである。ゴンドラとクワッドを乗り継ぎ1600m近くまで労力なく上がる。今日はリフト代も高いが600の標高差を僅かな時間で移動したことに、宮内さんはとても感動していた。
 ゲレンデの喧騒から一歩踏み出すと、もうそこは樹氷モンスターの世界である。モンスターを縫いながら苦しいラッセルを交代で続ける。深いところでは板が持ち上げられない。一度、引き抜いてから覆い被せるように踏み出す。昔、ヤナさんから乙妻山で教わったラッセルを思い出す。あの時はザックを放り出して腰を降ろすと隣のヤナさんと、中田さんが見えなくなったっけ。
 西大嶺の山頂に着くとさすがに寒い。吹きすさぶ風雪に隠れるところもない。すると後からボーダーのパーティが上がってきた。私はこのモンスター地獄でどこを滑るのだろうかと小沼君に聞くと、西吾妻に向かう途中に無木立の斜面があるので、そこを滑りに来たのだろうと言う。山頂で挨拶を交わしたが「早いですねぇ」とは言われたが「ありがとう」の言葉は聴けなかった。山屋とゲレンデを抜け出してくる俄バックカントリーとは相容れない要素がある。
 天気が悪いばかりでなくすでに13時を廻ろうとしており、私以外、全員往路を戻るものと考えていたようだ。大早稲沢への計画はまたしても延期となる。下りはモンスターをポールに置き換えてご機嫌なパウダーを堪能した。
 こうして悦楽第一主義の山行は無事、3日間の行程を終え帰路に着く。途中、川上温泉で汗を流し、猪苗代でラーメンを食べて小沼君と別れた。3月になったら大きなブナがあると聞く高曽根山に行こうと約束をする。もちろん、あの宿の予約は欠かせない。
 誰がなんと言おうが、この路線で俺は生きていくのだ。
 そして最後に3人で中村金物店を探したのは言うまでもない。