二口山塊・小松原沢から大行沢

2011年9月23日〜25日
L遠藤徹・宮内幸男・佐藤千衣子
記録=遠藤 徹

 家の事情でしばらく山行から遠ざかっていた。自ずと運動不足になり、体力の求められるルートは敬遠したくなる。加えて、あろう事かゼルバンがきつくなってしまった。買い換えたいと家人に告げると、「体の方を合わせる努力をしろ」と言われる。

 9月22日夜、宮内さんの住む東武練馬の駅前にある大型ショッピングモールの身障者用トイレにあたりを気にしながら潜り込み、ネクタイとワイシャツ姿から、薄汚い山屋に衣替えをする。50をとうに過ぎ、いつまでもこんなことをやっていて、果たしていいのだろうか。
 やがて宮内夫妻と合流し、東北道を仙台へと向かう。
 午前3時過ぎ本小屋の先にあるトイレのある駐車場でテントを張って仮眠した。運転の覚醒作用を抑えるため(?)、やはり酒は欠かせない。山歩きが健康にいいとは誰が言い出したのだろう。

 翌朝、当然ゆっくり出発する。台風を追いかけてきたので名取川は増水している。橋から見る大行沢も優美なナメがドバドバの洪水状態になっていた。
 支度をして車を走らせると、すぐ先のキャンプ場の入り口で遮断機が道を塞いで係員が立っていた。
「あのー、通行止めですか?」
 と聞くと、その風変わりな係員のオヤジは、
「俺は、もう嫌になっちゃうんだ。ここまで来る途中にも看板がいくつもあるだろうし、しかもここに大きく通行止めって書いてあるのに、あんたらみたいに誰もが同じことを聞いてくるんだ」
「そうですか。参ったなぁ。林道を車で走れると聞いていたのになぁ。あれっ? ここに土日は通行止め解除って」
オヤジ「今日は何曜日だよ。金曜だろ、俺たちゃ公務員じゃないんだから祝日なんて関係ないの」
 我々は妙に納得し、林道を歩き始めた。
 千衣子さんは「ここじゃなくて、他にもっと土木工事が必要な所があるんじゃないかな」と話していた。そのとおりだ、なにしろここは稜線まで仙台市内なのである。
 2時間くらい歩いて、糸沢を左岸に確認し、対岸に渡り返したところで入渓する。確かに噂通りナメが続く美しいところだ。惜しむらくはもう少し水量が少なければいいのだが。
 中流部で銚子大滝と呼ばれる多段の大滝がある。前衛の15mほどの滝を左から巻いて、懸垂で降りると銚子大滝が俯瞰できる。左岸から踏み跡に従って簡単に巻けた。このあと、夏場なら泳いで突破できそうなミニゴルジュが断続するが、手強い巻きを強いられた。巻きにはいずれも踏み跡が見当たらなかったので、水線どおしに歩かれているのだろう。
 上部では再び優美なナメが続き、緩急変化のある人気の渓であることがわかる。
 所どころにビバークのポイントがあり、我々も早い時間から泊まり場を求めた。ブナの若木に囲まれた素敵な場所を見つけたが、多分、多くの来訪者がここで泊まるのであろう。流木を探すのには苦労させられた。
 翌日は、小松倉沢と本流を左に分け、1272mと1239mの間のコルを目指した。
 この渓。いつから誰が小松原沢と名付けたのだろうか。さかんに宮内さんが首を傾げる。禿沢と呼ばれていた渓と同義語なのだろうか。色気のない表現だけれど、名取川本流の方がすっきりするのではないだろうか。


 

稜線に上がった我々は、ここから山形神室も往復しないで、長躯 大行沢の樋の沢小屋を目指した。しかも糸岳から磐司岩方面へ向かう一般道から派生する廃道を拾いながらカケス沢を目指した。稜線のアップダウンにもめげず、工事中の二口峠の人臭さにもめげず。宮内さんに北石橋を見せてあげたい一心でこのルートを取ったが、いやー、久しぶりに歩いた歩いた、歩かされた。宮内夫妻にとっては、なんでもないハイキングコースなんだろうけれど、ほとんど山に行っていない私には充分すぎるほどの運動不足解消となった。
 しかし北石橋は奇景である。木曽御岳山にある兵衛谷のゴジラの背中ブリッジと形成される理屈は同じなのだろうか。そういえば二口林道の下にある 姉滝も滝頭から侵食が進んで略奪が始まり、ブリッジが残って崩壊したと聞く。余談だが、この手の自然略奪水路の奇景ナンバーワンは熊ノ沢「ユウノサワ」だろう。さて、読者の諸君。それはどこだろう。
 北石橋からは明瞭となり大行沢に降りついた。北石橋だけを見物に往復する人の多さが窺える。大行沢もまだ水量が多かったが、私にとってはとても懐かしかった。10数年前だろうか、高橋さんと恵子さんと岩永と4人で来たことを思い出す。千衣子さんにそれを話すと「完成された飲酒パーティね」と言われてしまった。


 

樋の沢避難小屋に辿り着くと、先着の6人パーティが小屋の前で焚き火を囲み宴会をしていた。釣り目的と思しき装備と食材であった。我々が粗食の夕餉の支度を始めていたら、餃子の皮で岩魚のタタキを油揚げしたものをご馳走になった。とても旨かった。心からお礼を申し上げたいが、翌日、彼らが去ったあと、追いかけてでも文句を言ってやりたい光景が残されていた。我々が大行沢の上部を遡下降して無人の小屋に戻ると、小屋外の敷地内に脱糞していた。他に同宿した人もいないし、その間通りすがりの人がいたとも思えない。
 死んだ矢本がよく話していたっけ。「ゴミは嫌いだ。釣屋は嫌いだ。ゴミを捨てて帰る釣屋は最も嫌いだ」と。
 釣りを嗜好する全ての人がそうである筈もないのだが、しっかりマナーを守る釣屋さんまで同じ狢呼ばわりされる下地があると思う。山菜やきのこ狩りも同じなんだけど、山へ収穫物を目的に入る人は、あとに訪れる人の立場にならない傾向が確かにある。彼らは山や渓を愛しているのではなく、収穫物を愛しているのだから。

 大行沢は相変わらず美渓であった。ナメと釜の饗宴とでも表現したくなる。併せて森の豊かさも魅力のひとつだ。ブナ、ミズナラ、トチ、サワグルミと役者が揃う。紅葉の盛りまでにはあと1〜2週間待ったほうがいいだろう。それでも色づき始めた森を愛でながら一般道を駐車場へと下った。

写真は上から、小松原沢/カケス沢左岸道/化石橋/大行沢