葛根田川戸繋沢より錦秋の千沼ヶ原へ

2011年10月8日〜9日
L遠藤徹・宮内幸男・佐藤千衣子
記録=遠藤 徹

 9月の連休に続き、再び東北を目指す。この時期、毎年「癒し系のナメ」を求めて東北界隈を物色し続けてきたが、さすがにネタが尽きてきた。
 私は、もう山なんかに拘らなくてもいいじゃないかと、大深温泉定着で草の湯や安比温泉に遊び、渓が恋しけりゃ夜明け島渓谷に行きましょう、と提案した。
 ところが代表は「そんなことでは堕落するばかりだ」と一蹴し、今回の「滝ノ上温泉、滝峡荘」を最終目的地に設定した周遊ルートを練り上げ、私を説き始めた。
「なぁ、美しいだろう。ルートには無駄があってはならない。完結性がなくてはならないのだ」と、滝峡荘に素泊まり1泊2500円の予約を私に命じた。

 もっと若い頃は、盛岡が近くに感じていた。前夜、都内を発ち目的地の近くまで運転して仮眠したものだが、今は届かない。仲間内で「うさぎパーキング」と呼ぶ前沢SAで仮眠する。ここの兎たちは高速道路に守られて、天敵に襲われないのだろうか。
 2週前の仙台でも同じ光景を見たが、高速の料金所ではETCではない一般のレーンが長蛇の列である。被災者への料金配慮なのだろうけれど、これには地元の人々も閉口してしまうのではないだろうか。
しばらく来ないうち、滝ノ上温泉もすっかり変ってしまった。立派なトイレ兼休憩所が出来上がり、大きな駐車場も整備された。明日、お世話になる滝峡荘が葛根田川を隔てて人待ち顔で佇んでいる。

 本流を目指す2パーティと前後して出発するが、入渓早々、水量の多さにたじろぐ。
 まるで記憶のない下部のお函と呼ばれるゴルジュの通過にも手を焼いた。加えて、出発前に天気予報で聞いていた「行楽日和のお天気」はどこへやら。そのうち小雨も降り出す始末で、もっと厚着をして来ればよかったと悔やまれる。
 それでも葛根田の美しい流れは何年経っても変らない。ブナの森が育む悠久の流れには、それだけで感動する。自分が生まれる何千年も前から、この流れは続いており、自分が死んでからも変らないのだろう。
 戸繋沢の出合まで予想以上に時間がかかってしまった。一休みして戸繋沢に入ると、やはり格段の違いで減水する。ほっと胸をなでおろし歩みを進めると、大石沢を右岸に迎える。やがて噂に聞いていたナイアガラ状の美瀑が現れる。戸繋沢の平凡な渓相もやっとここから期待できるのかなと思っていたら、望むべくナメはどこへやら、ただただゴーローが続くばかり。どこまでも続く。ひたすら続く。
 やがて左岸より1対1で金堀沢を迎えたところで泊まりとする。

 翌日も渓相の変らない戸繋沢を詰め、1063と1068のコルから降りてくる明瞭な踏み跡の続く枝沢から稜線にあがった。宮内さん曰く、戸繋などと名付けられた沢名から、旧くは雫石から乳頭方面への山越えに使われていたのかもしれないとのこと。この枝沢を拾わなければ、もっと田代岱に早く着けそうだが、等高線から判断し本流はヤブがうるさいだろうと想像し敬遠した。ところが稜線の一般道を歩いて田代平への登りに差しかかると、なんと件の戸繋の本流が横切っていた。こちらを選べばよかったかな。まぁ、たいした変わりがある訳ではない。田代平から懐かしい田代岱山荘を経て、乳頭山まではとても美しい景観の中を行く。振り返ると紅葉した湿原の向こうに、大白森の平坦な山稜や曲崎山が望まれる。乳頭山の山頂はこれでもかと言わんばかりの人だかりであった。私は厳冬期と残雪期しか登ったことがないので、乳頭山にこんなに多くの人が訪れるのかと驚いてしまった。

 帰りは、このまま白沼経由でとっとと温泉に向かいましょうと主張した私に対し、紅葉の千沼ヶ原を見ないでどうする、とこれまた却下され、遠回りで降りることになる。千沼ヶ原は遠回りしてでも行く価値がある美しさであったから、まぁ文句は言うまい。

 して、滝峡荘は写真をご覧ください。言葉などいらない木製の内風呂です。

写真 上2点:葛根田川本流の流れ、下左:戸繋沢ナイアガラ状の美瀑、下右:紅葉の千沼ヶ原、右:滝峡荘の内風呂