那須連峰・三倉山

2012年1月8日〜9日
[会津山岳会]L大竹幹衛・外島正明・栗田光基・齊藤憲一・池上邦彦・小沼充範 
[わらじの仲間]遠藤徹・宮内幸男 [名古屋ACC]林正規

 会津山岳会の小沼君から三倉山に誘われた。3連休の後半の2日間で予定されているため、前日はゆっくり田島で飲もうという話になった。会津田島には小沼君の母方の実家があり、いまはもう誰も住んでいないので、これまでにも何回かお世話になったことがある。
 横浜を昼前に発ち、浅草からのんびり1人で田島へ向かう。都下から埼玉にかけては雲ひとつない青空が広がっていたが、今市あたりから雲が多くなり、五十里湖のトンネルを潜るとあたりは雪景色となる。歓声があがり、カメラを車窓に向ける人たちがいる。そんな雪国が珍しい乗客も会津高原を過ぎれば誰もいなくなり、手拭をほっかぶりしたおばあちゃんと田島のホームに降り立った。駅前では懐かしい小沼君が迎えに来てくれていた。ちょうど1年ぶりの再会だ。昨年の同じ連休に、雄国沼や西吾妻へ宮内さんたちと遊んだが、3月の震災が1年のブランクを空けるきっかけとなった。小沼君お薦めの田島の銘店を案内してもらい、酔い潰れる寸前になって宮内さんと林が合流してきた。

 8日、音金の集落を分け入った除雪の終点には、すでに会津山岳会の面々が集まっていた。当初、メンバーに予定されていた、佐々木先生と国分さんが参加できなくなり、斉藤さんをはじめ屈強のメンバーが顔を揃えていた。早速挨拶を交わし、村の犬に吠え立てられ登り始める。総勢9人の男たちが藪を掻き分けラッセルを続けていく絵面は近年稀に見ない光景だ。
 物の本によれば、那須連山界隈でも、ここから唐沢山までの急登が最大の傾斜で知られているらしい。積雪は多くはないが、それでも吹き溜りや、藪には手を焼き時間ばかり過ぎてゆく。唐沢山の山頂に14時ころ到着し幕場とする。この夜は大竹チーフの一声でなんと4〜5人用のエスパースに9人がひしめき合い合同大宴会となった。小沼君と林の2人を除き、中高年パワー炸裂の夜であった。
 この晩は煌々と月明かりが美しく、青白く輝く夜の雪山に溜息が出た。

 9日、快晴に恵まれ三倉山に向かう(写真)。夏道があるはずなのだが、針葉樹が邪魔をする歩きにくい稜線を辿る。北東に延びる土倉山からの稜線を併せると顕著なピークに立つが、三倉山の三角点はもう少し先であった。流石山から大倉山の稜線を隔て、三本槍から茶臼への那須の主脈が山の向こうから現れると、待望の山頂に到着する。普段の心がけがいい集団とは思えないのだが、この日のアタックに迎合するかのような好天に恵まれ、会津の山々の展望を欲しいままにした。当然、山座同定は小沼君に及ぶ者はいないようだ。
「おい小沼、あの山の左の尖ったヤツはなんだ?」と皆から声がかかる。
 途中で帰幕した大竹さんを除き、全員で記念写真を撮り、下山にとりかかる。幕場に戻り、撤収し、昼過ぎには車へと戻った。大竹さんをはじめ、会津山岳会の皆様には大変お世話になりありがとうございました。今後とも、お付き合いの程よろしくお願いいたします。