飯豊連峰・初登記録の発表について(その1)
和井田一雄
年報18わらじ 本文より
在籍期間の長い会員であれば御承知のことではありますが、私はかなり以前から「飯豊連峰のまとめ」に関与しております。
この「飯豊連峰のまとめ」の具体的内容としては、年報・月報・「わらじ叢書」に掲載された合宿等における記録のまとめと共に、過去の先人達による足跡をまとめた「登山年表」があります。
この内、前者の記録については,他の会員の尽力によって初稿まで完成(フロッピー入力)と聞いていますが、後者の年表については、諸般の経緯により私が資料収集を行っており、既に中間報告的なものを過去3回年報に発表してはいますものの、いまだ未完成となっています。
すなわち、「年報わらじ・第3号(1979年度)」に無雪期の渓谷遡行記録を「飯豊連峰渓谷開拓の歴史」(内容は渓谷記録年表)として、また「年報わらじ・第6号(1982年度)」に積雪期の記録を「積雪期飯豊連峰主要登山年表」として、更に「年報わらじ・第7号(1983年度)」に「積雪期飯豊連峰主要登山年表・補遺」として各々発表しています。
しかしながらこれらの内、「第3号」発表の「渓谷開拓の歴史」は内容的に非常に簡略化されているので、全面的に書き直しているものの、新たな記録の発見、表現方法の見直し等のため、初稿の校正作業の段階で中断しています。また、「第6号」発表の「積雪期登山年表」も内容的には相当緻密にまとまっているものの、やはり新たな記録発見、表現方法の見直し等のため、昭和30年代半ばの時点で初稿作成が中断となっています。
このような手詰まり状況を打開し、記録の整理や原稿作成を促進するためにも、とりあえず現時点において判明した先人の足跡の内、第1弾として積雪期・厳冬期における初登頂(登山者としての)と客観的に判断される記録に絞って、その概要を発表しておくのも意義があるものと考えます。
また、これに続いて第2弾として無雪期においても、渓谷の初遡行(登山者としての)と客観的に判断される記録に絞って、同様に概要を発表していきたいと考えています。
なお、これらの記録の発表の場としては、本来「年報」や別冊の「飯豊特集号」などが相応しいのですが、既に述べました諸事情のため、最も身近にある月報に発表せざるを得なかったことを御了解下さい。
追記、今月号から何回かに分けて発表予定の積雪期・厳冬期・渓谷の初登記録をステップとして、更に内容の充実した「登山年表」を逐次完成させ、会の足跡としての記録と併せて「飯豊のまとめ」として是非完成させたいと念願しております。
目標は会創立40周年の1997年(平成9年)ですが、今後の会員諸氏の御支援、御協力をよろしくお願いします。
(「月報」7月号掲載文より転載)
以上の経緯により、「月報」7月号〜9月号の3回にわたって、「積雪期・厳冬期初登頂記録」を連載することができましたが、改めてこの機会に記録資料を整理してみますと、重要な記録漏れや誤りが発見されましたので、これに加筆訂正を行いひとつにまとめてみました。
これによって、第1弾のステップがとりあえず完成した訳ですが、次の第2弾のステップとして「無雪期渓谷初遡行記録」も同様に是非まとめてみたいと考えております。
この原稿の掲載された「年報」が発行される頃には、「無雪期渓谷初遡行記録」の「月報」への連載が始まっていると思いますが、更なる飛躍に向けて頑張っていきたいと思います。
なお、内容についての疑問点などがあれば、遠慮なく御指摘いただければ幸いです。
飯豊連峰積雪期・厳冬期初登頂記録(その1)
和井田一雄
1 大日岳
(1)積雪期
昭和2年3月24日〜4月3日
慶応義塾大学山岳部・本郷常幸、槙弘、斉藤長寿郎、野村実、他4名(人夫)(スキー使用)
弥平四郎〜上ノ越〜瑕岩山〜三国岳〜飯豊本山〜大日岳(往復)(同部「登高行」第7年)
(2)厳冬期
昭和30年12月22日〜31年1月5日
東北大学山岳部・川俣俊一、小田原恭一、鈴木重信(登頂隊)他7名(極地法)
川入〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山〜大日岳(往復)
東北大学山の会「会報」第4号・「岳人」第119号)
(3)2月
昭和46年2月6日〜14日
長井山岳会・黒沢輝男、植松秀之、菅原正一、元木茂、高橋忠一(登頂隊)他6名(極地法)
岳谷〜大日杉〜地蔵岳〜飯豊本山〜大日岳(往復)
(「山と渓谷」第402号・同会「四十周年記念誌・朝日・飯豊に育まれて」)
(4)積雪期・水晶尾根〜大日岳
昭和24年3月19日〜4月3日
新潟高等学校山岳部・皆川勇、白石徹雄、岡村泰(登頂隊)他10名(極地法)
実川〜掘切窪〜水晶尾根〜大日岳(往復)
(同部「飯豊」第4号・「岩と雪」第4号)
(5)厳冬期・水晶尾根〜大日岳
昭和31年12月26日〜32年1月1臼
稜渓山岳会(千葉)鈴木弘、岡本博幸(登頂隊)他4名
実川〜前川堰堤〜壷安沢左岸尾根〜笠掛山〜大日岳(往復)
(同会「稜渓」第14号・「岳人」第119号)
(6)2月・水晶尾根〜大日岳
昭和52年2月11日〜16日
会津山岳会・佐藤敏二、栄利文、大竹幹衛、斎藤常栄、栗田光基
実川〜掘切窪〜水晶尾根〜大日岳(往復)〜水晶峰〜前川堰堤〜実川
(同会「すかり・創立20周年記念誌」)
(注)既に登頂されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(7)積雪期・水晶尾根〜大日島(単独)
昭和54年3月6日〜10日
山中英二(無所属)
実川〜水晶尾根〜大日岳〜笠掛山〜壷安沢左岸尾根〜前川堰堤〜実川
(「岳人」第384号)
(注)既に登頂されている可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(8)積雪期・クサイグラ尾根〜大日岳
昭和23年3月21日〜4月2日
第二高等学校山岳部・高橋盛雄、鈴木勲(登頂隊)他8名(極地法)
長者原〜泡ノ湯〜岩魚沢〜温身平〜クサイグラ尾根〜大日岳・北股岳(往復)
(日本山岳会越後支部「越後山岳」第3号・二高山岳会「二高山岳会会報」第7号)
(9)厳冬期・クサイグラ尾根〜大日岳
昭和34年12月19日〜35年1月4日
岩手大学山岳部・新山公義、上杉忠夫、石井昌之(登頂隊)他25名(極地法)
長者原〜玉川〜温身平〜クサイグラ尾根〜大日岳(往復)
(「岩手日報」昭和35年1月8日朝刊)
(注)岡部・部報等は未見。なお、「岳人」第204号所収の岩手大学山ノ会「積雪期飯豊連峰・クサイグラ尾根より大日岳」は案内文であるが、参考タイムは同記録を基に書かれていると推定される。
(10)積雪期・シシ笠尾根〜大日岳
昭和8年3月8日〜4月1日
第二高等学校山岳部・久野久、同OB・佐々保雄他2名(人夫)(スキー使用・松ノ木穴沢まで)
弥平四郎〜谷地小屋尾根〜中ノ越〜松ノ木穴沢〜シシ笠尾根〜牛首山〜大日岳(往復)
(二高山岳会「二高山岳会会報」第4号)
(11)積雪期・牛ケ首沢〜大日岳
昭和14年3月28日〜4月1日
新潟高等学校山岳部・渡辺修作、青木元、殖栗信義、三村誠三他2人(人夫)(スキー使用)
弥平四郎〜四ッ沢ソネ〜中ノ越〜松ノ木穴沢〜牛ケ首沢丁大日岳(往復)
(同部「飯豊」第1号・第7号・渡辺修作氏からの私信)
(12)積雪期・牛首山中央稜
昭和62年3月19日〜22日
会津山岳会・栄利文、斎藤憲一、川添修也、エーデルワイス山岳会・高橋源一郎(スキー使用)
川入〜地蔵山〜三国岳〜切合〜一ツ石尾根〜黒羽根沢〜中央稜〜牛首山〜大日岳コル(牛ヶ首)〜大日沢(牛ヶ首沢)〜一ツ石尾根〜切合〜三国〜庶岩山〜長坂〜弥平四郎
(「山と渓谷」第634号・同会「すかり」第14号)
(13)積雪期・焼曽根〜烏帽子山〜大日岳
昭和24年3月25日〜30日
双峰山岳会(新潟)横山雪男、木村圭介
実川橋〜要所口〜焼曽根山〜烏帽子山〜大日岳(往復)(3月29日登頂)
(日本山岳会越後支部「越後山岳」第5号)
(13)積雪期・焼曽根〜烏帽子山〜大日岳
昭和24年3月19日〜4月上旬(日付不詳)
第二高等学校山岳部・鈴木勲他2名(氏名不詳・登頂隊)他6名(スキー使用0極地法)
実川橋〜要所口〜焼曽根山〜烏帽子山〜大日岳(往復)(3月31日登頂)
(「越後山岳」第5号・「岩と雪」第4号・同部・村井研一郎氏からの私信)
(14)厳冬期・焼曽根尾根〜烏帽子山〜大日岳
昭和46年12月23日〜47年1月1日
東北大学山岳部・須藤秀昭、上地章夫、畑岡信夫(登頂隊)他8名(極地法)
実川橋〜要所口〜焼曽根山〜烏帽子山〜大日岳(往復)
(同部「会報」第9号)
(15)積雪期・筆塚山〜烏帽子山〜大日岳〜飯豊本山
昭和38年3月15日〜4月10日
東北大学山岳部・相原坦道、石田頼平他16名(縦走隊その他氏名不詳)
筆塚山〜烏帽子山〜大日岳〜飯豊本山〜三国岳〜川入(詳細不明)
(同部「会報」第6号)
(16)積雪期・蒜場山〜烏帽子山〜大日岳
昭和33年3月10日〜24日
新潟大学山岳部・伊藤惣一郎、加藤嘉明、竹内昌男(登頂隊)他15名(内OB 3名)(極地法)
東赤谷〜祝ノ鼻尾根〜蒜場山〜大日岳(往復)
(「岩と雪」第4号・同部「飯豊」第7号)
(17)厳冬期・蒜場山〜烏帽子山〜大日岳〜飯豊本山
平成2年12月28日〜3年1月1日
わらじの仲間・関根幸次、宮内幸男、渡辺輝男、大津政雄、大津美智子
東赤谷〜加治川ダム〜岩岳〜蒜場山〜烏帽子山〜大日岳〜飯豊本山〜三国岳〜松ノ木尾根〜川入
(注)既に登頂されている可能性はあると思われるが、一般山岳雑誌には未発表のため、現在のところ確認されていない。
(「岳人」第528号・「年報わらじ」第15号)
(18)積雪期・桧山沢〜御西島〜大日岳
昭和15年3月28日〜4月6日
第二高等学校山岳部・佐藤春郎、大富部国男他3名(人夫)
長者原〜玉川〜温身平〜桧山沢・駒形沢〜御西岳〜大日岳(往復)〜桧山沢・赤禿沢(大曲り沢)〜温身平〜岩魚沢〜長者原(スキー使用)
(二高山岳会「二高山岳会会報」第4号)
(19)積雪期・石転ビ沢〜烏帽子岳〜大日岳(?)
昭和11年3月22日〜25日
山形高等学校教授(山岳部長)安斎徹、小国営林著・阿部主事、案内人・舟山登茂栄(長者原)他5名(氏名不詳)
長者原〜泡ノ湯〜岩魚沢〜温身平〜石転ビ沢〜十文字鞍部〜御西島〜大日岳(往復)〜桧山沢・赤岳沢〜温身平(経路不詳)〜長者原
(「山と渓谷」第41号・川崎隆章編「新しきスキーの山旅」山と渓谷社・「温泉の山形」第11巻第31号・山形県温泉組合連合会・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
(注)日付が明記されている文献は「温泉の山形」のみで、他の文献は日付が不明で、登頂その他の時刻に不符合もあり、「山と渓谷」では大日岳登頂の事実が不明であるなど疑問点が多い。
(19)積雪期・石転ビ沢〜烏帽子岳〜大日岳(?)
昭和17年3月6日〜13日
越後山岳会・笠原藤七、早川一二、新潟高等学校山岳部OB・三村誠三、同部・藤田俊雄、金井患次郎、日本電興・本間儀助、案内人・渡遺書三郎、舟山登茂栄(登頂隊)他7名
長者原〜泡ノ湯〜岩魚沢〜温身平〜石転ビ沢〜十文字鞍部〜御西島〜大日岳(往復)〜十文字鞍部〜石転ビ沢〜温身平〜玉川〜長者原
(同部「飯豊」第1号・「山岳」第44年第2号・村松山岳会「植林」第1集・笠原藤七「植林・私の山旅」私家版.茗渓堂)
(20)厳冬期オンベ松尾根〜大日岳〜飯豊本山
昭和49年12月29日〜50年1月4日
直登会・寺島隆一、島田富夫、黒須文夫、館山秀司、日野岡宣男、石川喜市、植草靖司、斉藤誠実
実川〜湯ノ鳥小屋〜オンベ松尾根〜大日岳〜飯豊本山(往復)
(「岳人」第342号・同会・加藤伊介氏からの私信淑徳大学山岳部OB・渋谷哲氏からの私信)
(21)厳冬期梶川尾根〜北股岳〜大日岳
昭和33年12月20日〜34年1月4日
新潟大学山岳部・竹内昌男、藤井洋、北村剛(登頂隊)他16名(極地法)
長者原〜玉川〜温身平〜梶川尾根〜門内岳〜北股岳〜大日岳(往復)(1月1日登頂)
(同部「飯豊」第8号「新潟日報」昭和34年1月5日朝刊・昭和34年1月8日朝刊)
(21)厳冬期梶川尾根〜北股岳〜大日岳
昭和33年12月21日〜34年1月4日
東北大学山岳部・斎藤雅英、佐野英彦(登頂隊)他9名(極地法)長者原〜玉川〜温身平〜梶川尾根〜門内岳〜北股岳〜大日岳(往復)(12月30日登頂)
(同部「部報」第4号)
2 飯豊本山
(1)積雪期
昭和2年3月24日〜4月3日
慶応義塾大学山岳部・本郷常睾、槙弘、斎藤長寿郎、野村実他4名(人夫)(スキー使用)
弥平四郎〜上ノ越〜庶岩山〜三国岳〜飯豊本山〜大日岳(往復)
(同部「登高行」第7年)
(2)厳冬期
昭和12年1月1日〜6日
第二高等学校山岳部・桑田欣吾、小林秋男(OB)他3名(人夫)
川入〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山(往復)
(二高山岳会「二高山岳会会報」第3号・第4号「岳人」第93号)
(3)2月
昭和32年2月17日〜3月3日
長井山岳会・安藤正吾、衣袋賢二、竹田憲作、平良三郎、横澤太、牛谷清、平吹達郎(極地法)
岳谷〜大日杉〜地蔵岳〜飯豊本山〜御西島(往復)
(「山と高原」昭和33年12月号・同会「四十周年記念誌・朝日・飯豊に育まれて」)
(4)積雪期・大くら尾根〜飯豊本山
昭和18年3月3日〜11日
第二高等学校山岳部・葛西森夫、飯尾漢、望月秋雄(登頂隊)他5名(尾根取付までスキー使用・雪洞使用)
長者原〜玉川〜温身平〜大くら尾根〜飯豊本山(往復)
(「二高山岳会会報」第7号)
(5)厳冬期・大くら尾根〜飯豊本山
昭和33年12月5日〜10日
新潟大学教育学部(所属団体・不明)小菅秋、駒形裕二、板屋寅夫、渡辺健策
長者原〜玉川〜温身平〜大くら尾根〜飯豊本山(往復)(12月8日登頂)
(峡彩山岳会「岳神」第7号)
(注)新潟大学山岳部「飯豊」第7号(昭和33年11月20日発行)所収の「新潟大学山岳部々員名簿」には4名の氏名が見当たらず、また同部「飯豊」第8号所収の「厳冬期梶川尾根〜大日岳記録」(昭和33年12月20日〜34年1月4日)中にも4名の氏名が見当たらない事から、4名は同部所属ではない事が確認されている。なお4名は峡彩山岳会所属でもないが、同会「岳神」に記録が発表されている経緯は不明である。
(5)厳冬期・大くら尾根〜飯豊本山
昭和33年12月19日〜25日(推定)
山形大学山岳部・吉村義夫、千田勝郎、門脇静穂(雪洞使用)
長者原〜玉川〜温身平〜大くら尾根〜飯豊本山(往復)(12月23日登頂(推定))
(岡部「コーボルト」第9号・コーボルト会「コーボルト・その五十年」)
(注)「コーボルト」第9号等では日付不詳であるが、新潟大学パーティに初日と第6日に温身平で会ったとの記事があり、また前記「飯豊」第8号所収の「厳冬期梶川尾根〜大日岳記録」中の天候の記事と符合することからの推定である。
(6)2月・大くら尾根〜飯豊本山
昭和35年2月20日〜28日
東北大学山岳部・一柳、竹内條、牧田肇、(スキー使用)
長者原〜玉川〜温身平〜大くら尾根〜飯豊本山(往復)
(同部「部報」第5号)
(7)厳冬期大くら尾根〜飯豊本山(単独)
昭和53年12月29日〜54年1月4日
RCC福島・佐藤重朗
長者原〜玉川〜温身平〜大くら尾根〜飯豊本山〜御西岳(往復)〜三国岳〜松ノ木尾根〜川入
(「山と渓谷」第494号)
(注)既に登頂されている可能性はあると思われるが現在のところ確認されていない。
(8)積雪期・桧山沢〜飯豊本山
昭和6年3月11日〜23日
第二高等学校山岳部・大島正隆、持田勇吉、福井重芳他4名(人夫)(スキー使用)
長者原〜岩魚沢〜温身平〜桧山沢〜秋田ノゾミノ平〜大蓋尾根〜飯豊本山(往復)
(「二高山岳会会報」第2号)
(9)積雪期・大日杉〜地蔵岳〜飯豊本山
昭和8年3月30日〜4月7日
山形高等学校教授(山岳部長)安斎徹、同・深町弘三、同・森(名前不詳)同校山岳部吉田三郎、東京帝国大学スキー部・阿部秀夫、スペンサー・ケナード(英人)他計26名(スキー使用)
岳谷〜大日杉〜地蔵岳〜切合〜飯豊本山(往復)
(安斎徹「東北の山」朋文堂・「山と渓谷第41号、川崎隆章縞「新しきスキーの山旅」山と渓谷社、安斎徹「熊、樹氷、自然」中央書院、コーボルト会「コーポルト・その五十」
(10)厳冬期・大日杉〜地蔵岳〜飯豊本山
昭和17年12月26日〜18年1月8日
第二高等学校山岳部・上田勇五、本島正雄、飯島弘、佐々木喜一、高橋呂福、葛西森夫
岳谷〜大日杉〜地蔵岳〜切合〜飯豊本山(往復)
(「二高山岳会会報」第6号・「岳人」第93号)
(11)積雪期・川入〜三国岳〜飯豊本山
昭和6年3月14日〜16日
新潟県スキー連盟・廣瀬市次、新潟県学務部長松枝、喜多方営林署長・内村、関根、遠藤、他2名(氏名不詳)(スキー使用)
川入〜御沢〜大白布沢・タカツコ沢〜三国岳〜飯豊本山(往復)
(「アルピニズム」第3号・アルピニズム社)
(12)2月・川入〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山
昭和52年2月6日〜13日
エーデルワイス山岳会(喜多方市)橋谷田明、蒲生利男、広瀬浩、真鍋守夫、内島康夫、山本一別
川入〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山(往復)
(同会・栗城敏男氏からの私信)
(12)2月・川入〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山
昭和52年2月(日付不詳)
福島電々山岳会(氏名不詳)
川入〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山(往復)(詳細不明)
(エーデルワイス山岳会・栗城敏男氏からの私信)
(注)既に登頂されていた可能性はあると思われるが現在のところ確認されていない。
(13)2月・川入〜松ノ木尾根〜三国岳〜飯豊本山
昭和51年2月7日〜13日
中条山の会・亀山東剛、五十嵐カ、土田公一中村昭八、石山政雄、須貝栄二、長馴願、高橋一郎、刈谷弘英、板垣時男、・倉地京平、青木華美、近文蔵、水・沢康治、渡辺幸雄他5名
川入〜松ノ木尾根〜三国岳〜飯豊本山(往復)
(五十嵐力「山のはなし」私家版・同会「昭和50年度厳冬期飯豊山登頂報告書」・五十嵐力氏からの私信)
(注)既に登頂されていた可能性はあると思われるが、現在のところ確認されていない。
(14)積雪期・大日杉〜五段山〜三国岳〜飯豊本山
昭和49年3月16日〜21日
川西山の会・阪野吾平、青木督平、船山清一、神足政雄、高橋喜久雄
岳谷〜大日杉〜五段山〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山〜地蔵岳〜大日杉〜岳谷
(同会「厳冬期飯豊連峰完全縦走への道・1971〜1978」)
(15)2月・大日杉〜五段山〜三国岳〜飯豊本山
昭和52年2月13日〜25日
川西山の会・清野孝、青木督平、平間操、船山清一、新野邦昭(縦走隊)他6名
岳谷〜大日杉〜五段山〜地蔵山〜三国岳〜飯豊本山(停滞)〜地蔵岳〜大日杉〜岳谷
(同会「厳冬期飯豊連峰完全縦走への道・1971〜1978」)
(16)厳冬期・オンベ松尾根〜大日岳〜飯豊本山
昭和49年12月29日〜50年1月4日
直登会・寺島隆一、島田富夫、黒須文夫、館山秀司、日野岡宣男、石川書市、植草靖司、斉藤誠美(内4名登頂隊・不詳)
実川〜湯ノ島小屋〜オンベ松尾根〜大日岳〜飯豊本山(往復)
(「岳人」第342号・同会・加藤伊介氏からの私信・淑徳大学山岳部OB・渋谷哲氏からの私信)
(17)積雪期・筆塚山〜烏帽子山〜大日岳〜飯豊本山
昭和38年3月15日〜4月10日
東北大学山岳部・柏原坦道、石田頼平地16名(縦走隊その他氏名不詳)
筆塚山〜烏帽子山〜大日岳〜飯豊本山〜三国岳〜川入(詳細不明)
(同部「会報」第6号)
(その2)
に続く
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